何度もご利用いただいているご夫婦の奥様から電話があり、息子さんが通う大学のゼミの仲間達と行くからと3部屋の予約をいただいた。
当日を迎えてその息子さんが幹事ということでチェックイン対応をした女将の咲恵だったが、「教授だけは隔離するので一部屋を」との言葉にびっくりしていると、続いて部屋食の夕食時には「教授の講義を許してね」と言われた。
教授はテレビ番組で解説している有名な人物で、日本を代表する歴史学者で、お酒が入ると饒舌になるとも伝えられていた。
やがて夕食のひとときとなった。乾杯が済んでしばらくした頃にご挨拶に参上したら、教授はすでに出来上がっておられ、ご到着と同時に部屋の冷蔵庫からビールを出して飲まれていたらしく、乾杯の時にはかなりメートルが上がっていた。
「このたびは当館をご利用くださいまして」と咲恵が挨拶を始めると、教授がそれを遮るように割って入られ、「今日は何の日かご存じか?」と言われたので「春分の日では」と答えると「それもあるけど今日は音楽の父バッハの誕生日でね。ユリウス暦1685年3月21日生まれなのだよ」からご講義が始まった。
学生の皆さんは「始まったぞ!」というような感じで見物されているみたいで、女将の咲恵が被害者みたいにターゲットになってしまっていた。
しかし、教授のご講義は大変有意義なもので、スタッフ全員を呼んで聞かせたい内容だった。
「女将さんね、ヨーロッパで音楽の父バッハがこの世に誕生した約5ヶ月前の1684年11月27日に八代将軍となった徳川吉宗が誕生しており、ヨーロッパでは宮廷音楽も塩素婦されていた時代に我が国では琴、尺八、笛、太鼓、三味線などが演奏されていた事実をどう思うかね?」
そんな質問をされて何より時代背景を顕著に知ることになって感心した咲恵は、自らも琴と三味線を習得していたこともあり、「それは本当ですか!?」と返すと、教授はご機嫌になって「そうだろう、私の講義は誰にも分かり易いので歓迎されているのだよ」とご満悦の表情を見せられた。
オーケストラと三味線、琴と比較するとそのギャップが信じられないが、歴史上の著名な人物二人の誕生日のことが解説され、歴史の流れに対する勝手な想像が全く違っていたことを痛感することになった。
「女将さん、教授の話は興味深いでしょう。だからあちこちのテレビ局から歴史に関する番組の解説者としてご指名があるのです」
それは幹事さんの言葉だったが、咲恵がテレビ番組の解説者として記憶している人物の地球科学者の竹内教授みたいなご存在ですね」と返すと、教授は次のように言われた。
「女将さん、あの『マントル』で知られる教授だが、私の先輩に当たるお方でね、何度か食事をともにしたことがあるので懐かしいのですが、竹内教授も私もテレビ局の世界ではタレントではなく文化人として考えられており、ギャラは交通費と宿泊費は別にして最高でも5万円に届かないので信じられないでしょう。そこから1割の源泉税も差し引きされ、確定申告時にそのすべてを申告するのだから大変なのです」
まさか出演料の裏話を聞くとは予想もしなかったことだが、初めて知った現実的な話題で、教授の面白い一面を教えて貰ったようで喜んでいた。
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