旅館の仕事はグローバルで、毎日何が起きるか分からないので大変であり、時には経験したことのない問題や想定外のこともあるので女将の責務は疲れるのである。
夕食のひとときが済み、片付けられた食器が厨房へ運ばれて来ている頃、女将の公美子はフロントでスタッフと次の日に予約を受けている団体のお客様について打ち合わせをしていたら、「ごめんなさい」と浴衣姿の女性のお客様が来られた。
「主人が食べ過ぎたみたいで消化系の薬がないかなと言いますのでやって来たのですが」と言われ、フロントスタッフが事務所内に置かれている従業員用の薬箱の中から市販の胃腸薬を持って来たが、公美子はそれを制し、「お客様、お薬は市販の物なら問題ないようですが、実は薬事法に抵触することとなり、切り傷に貼る簡易テープ程度なら問題ないかもしれませんが、内服薬につきましては制限されていますので、当館のスタッフが車でドラッグストアまでご一緒いたしますので直接ご購入下さいますよう」と説明した。
これまでに何度か頼まれて対応していたフロントスタッフだが、そんな問題があるとは考えもせず、お客様の方も初めて知られたことなので無理もないが、驚かれた表情で「主人に相談して来ますが、恐らく行って来いというと思いますのでその時は着替えて来ますのでよろしくお願いします」と部屋へ戻られた。
正露丸やセデスなどの市販薬なら問題ないと思い込んでいたスタッフだが、「対応出来ません」とだけ返したらクレームの対象となるだろうし、女将のようなしっかりと説明出来る知識を学んでおく必要があると考え、女将に対して「勉強します」と返した。
5分も経たない頃、先程のお客様が着替えて来られ、「買って来てくれと言われましたので乗せていただけますか?」と言われ、スタッフが駐車場から玄関へ車を回したが、ご主人も驚かれていたと話された。
ドラッグストアは10分ほど走ればあるし、まだ営業時間中なのでよかったが、これが遅い時間だったらと思いながら幸運だったと感じた公美子だった。
お客様を乗せたスタッフの車が30分も経たない内に戻って来たが、お客様は「もう少しで閉店時間だったみたいで助かりました」と嬉しそうな表情を見せられたが、公美子はお水がポットの中に少ないようだったらお電話をいただければお届けしますからと返した。
「戻りました。閉店前でラッキーでした。車の中でお客様が『しっかりした旅館ね』」と感心されていましたよ」と報告があった。
考えてみれば恐ろしいことである。お客様がいつも服用されている市販薬であっても、もしも旅館側が提供して体調不良を来されたら大変である。公美子の旅館では深夜の急患があれば県立病院の救急外来の存在を説明することになっているし、そんな場合はなるべく救急車を依頼することにしている。
写真は大峰山や高野山などの信仰の聖地で伝承されている「陀羅尼助」だが、板チョコみたいなタイプと丸薬があり、腹痛薬として知られている。
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