全てのお客様にご満足をいただけるように務めるのは女将として当然だが、今日ご利用くださるお客様には特別に神経を遣う保子だった。
予約をいただいたのは1ヵ月以上前。送客をしてくれたのは大手旅行会社なのだが、本社営業部からの直接予約であり、別便で次のようにメールが届いていたからだ。
「ご夫婦には5人の子供さんがおられるそうで、ご両親の結婚30年に3泊4日の旅行をプレゼントされたのですが、ご予約の窓口になったご長女は超高級ホテルのコンシェルジュを担当されており、弊社とも深い関係があり神経を遣いました。お父さんが味付けに厳しいらしく、貴旅館は3泊目なので最終日となります。弊社のこれまでの口コミやアンケート調査で評価の高かった貴旅館を推薦することにいたしましたが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。 謹白 営業部長****」
そんなメールが届けば大変なことは当然で、部屋係の仲居の選択や料理長との打ち合わせも綿密に進めてこの日を迎えた。
3泊目ということに重圧感を覚える。他の2泊をされた旅館やホテルがどのように対応されたのかは分からないが、事務所の男性スタッフの一人がびっくりするような歓迎のメッセージを創作していた。
彼のパソコン技術は誰もが驚くレベルで「画像のアート創作なら任せなさい」と自負するだけあって長けた感性は素晴らしいもので、これまでにも多くのお客様を驚嘆させて来た事実がある。
今日のお客様のために創作したものは色紙タイプのもので、今日の記念すべき日付とスタッフ一同の祝福のメッセージが掲載され、社長、女将、料理長、担当仲居の写真と旅館の外観、玄関、ロビーの光景を組み合わせた芸術的なものだが、中央部分に空間があり、ここにご夫妻のお写真が入るソウデ、フロントスタッフや厨房スタッフの全員が驚いていた。
保子は旅館側としての歓迎を伝える方法やお持ち帰りいただくお土産品などに頭を悩ませていたが、車で来られることを確認していたところから、お土産品は孟宗竹に入れた特別な新米をプレゼントすることにして、器用に物づくりをする支配人に依頼していたが、それは見事に細工された出来栄えで、スタッフ達も驚いていた。
米はこの地の知られる農家が特別に作っている限定なもので、お米にうるさい人達の間でも芸術品レベルと言われているもので、その農家というのは保子の中学時代の同級生の嫁ぎ先だった。
半月ほど前に訪れてお願いしたものだが、その時にどれだけ水の管理に拘っているかも初めて知り、実際に炊かれた物を試食させて貰ったが、それこそ「これは!」と驚嘆する味で、米こそ日本人の誇りで原点だと再認識した。
チェックインをされた際にお食事に関して「お好きな物」「苦手な物」を伺ったこともよかったみたいで、料理長の料理を大層喜んで下さり「お礼を伝えたい」とお部屋まで呼ばれることになったし、お帰りになった数日後にご長女から丁寧なお礼状が届き、その中にお米のことも触れられていたので嬉しくなった保子だったが、その日に旅行会社の営業部長からもお礼の電話があったので特別に嬉しい日となった。
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