10年ほど前のことだが、群馬県の高崎から軽井沢を過ぎて上信越道を夕方に走行中、濃霧に遭遇して視界が全く駄目になり、これ以上の走行は危険と判断して上田菅平インターで降りたが、20分経過しても変化はなく、積んでいた時刻表から近くの宿泊地を探し、急遽「別所温泉」の旅館を選択して予約を入れた。
インターから約20キロの距離だったが、高速道路ではない国道だったので濃霧でも何とか走行が可能で、時速40キロぐらいで30分少しを要して到着した。
上田菅平インターか上信越道を長野の方へ走ると阪城インター、更埴ジャンクションから長野道に通じ、それを下に向かうと名古屋に通じる中央道につながっている。
この別所温泉での出来事については書いたことがあるが、随分前なのでもう一度紹介を。
部屋での夕食を終え、窓側のテーブルにパソコンを置いて「独り言」の原稿を打ち込んでいると仲居さんが来室、寝具のセッティングをしながら「こんな温泉に来られてもお仕事ですか?」と聞かれたのでコラムの原稿を草稿中と返した。
発信する前に宿泊している旅館のHPを開けたら、そこに利用客の掲示板があったので「今晩お世話になっています」なんて書き込んで投稿しておいた。
次の日、朝食時に女将さんが来室、毎日掲示板の確認をされているようで、ハンドルネームだったのに宿帳の名前から検索されたみたいで「当館にとって有り難い内容で書き込んでいただき」と感謝をされ、「お名前がいっぱいヒットされるので驚きました。お葬式のお仕事をされておられるのですね?」と言われ、特別なサービスを提供された。
朝食後に大浴場に入ってからチェックアウトをしたが、降りたインターではない方向へ向かうことにして通行料の少ない峠を超え、何度かトンネルを抜けて出たのが「麻積インター」だった。
これで「おみ」と読むのをローマ字表記があったことから知ったが、もう更埴ジャンクションより「松本」寄りの長野道に入り「安曇野インター」の手前に来ていることを知った。
長野道は何度か走行したことがあるが、冬の時期に名古屋から長野へ向かっている時、外気温がどんどん下がって「マイナス11度」になってしばらくすると恵那トンネルに入り、中間部で「プラス10度」になり、そこから出口に近付くに連れ温度が下がり、抜けるとまた「マイナス11度」になったことを体験している。
冬のこの方面は雪と凍結が何よりも恐ろしいが、その時は路面が乾いている状態だったので幸運だった。
その時の帰路に飯田インターで降りて立ち寄ることになったのが「昼神温泉」で、「湯多利」「伊那華」という名称に興味を抱いて旅館を選択。中日ドラゴンズの納会の集合写真や落合監督の写真が廊下にいっぱい掲示されているので仲居さんに聞いたら、落合氏が現役時代のオフシーズンの自主トレで利用されていた旅館ということを知った。
その時に帰阪する行程を選択したのが山越えで岐阜県内を走る東海北陸道から名神経由だった。
今日の写真は上田電鉄の別所線で走っていた昔の電車。丸い窓が存在していたことで知られている。
インターから約20キロの距離だったが、高速道路ではない国道だったので濃霧でも何とか走行が可能で、時速40キロぐらいで30分少しを要して到着した。
上田菅平インターか上信越道を長野の方へ走ると阪城インター、更埴ジャンクションから長野道に通じ、それを下に向かうと名古屋に通じる中央道につながっている。
この別所温泉での出来事については書いたことがあるが、随分前なのでもう一度紹介を。
部屋での夕食を終え、窓側のテーブルにパソコンを置いて「独り言」の原稿を打ち込んでいると仲居さんが来室、寝具のセッティングをしながら「こんな温泉に来られてもお仕事ですか?」と聞かれたのでコラムの原稿を草稿中と返した。
発信する前に宿泊している旅館のHPを開けたら、そこに利用客の掲示板があったので「今晩お世話になっています」なんて書き込んで投稿しておいた。
次の日、朝食時に女将さんが来室、毎日掲示板の確認をされているようで、ハンドルネームだったのに宿帳の名前から検索されたみたいで「当館にとって有り難い内容で書き込んでいただき」と感謝をされ、「お名前がいっぱいヒットされるので驚きました。お葬式のお仕事をされておられるのですね?」と言われ、特別なサービスを提供された。
朝食後に大浴場に入ってからチェックアウトをしたが、降りたインターではない方向へ向かうことにして通行料の少ない峠を超え、何度かトンネルを抜けて出たのが「麻積インター」だった。
これで「おみ」と読むのをローマ字表記があったことから知ったが、もう更埴ジャンクションより「松本」寄りの長野道に入り「安曇野インター」の手前に来ていることを知った。
長野道は何度か走行したことがあるが、冬の時期に名古屋から長野へ向かっている時、外気温がどんどん下がって「マイナス11度」になってしばらくすると恵那トンネルに入り、中間部で「プラス10度」になり、そこから出口に近付くに連れ温度が下がり、抜けるとまた「マイナス11度」になったことを体験している。
冬のこの方面は雪と凍結が何よりも恐ろしいが、その時は路面が乾いている状態だったので幸運だった。
その時の帰路に飯田インターで降りて立ち寄ることになったのが「昼神温泉」で、「湯多利」「伊那華」という名称に興味を抱いて旅館を選択。中日ドラゴンズの納会の集合写真や落合監督の写真が廊下にいっぱい掲示されているので仲居さんに聞いたら、落合氏が現役時代のオフシーズンの自主トレで利用されていた旅館ということを知った。
その時に帰阪する行程を選択したのが山越えで岐阜県内を走る東海北陸道から名神経由だった。
今日の写真は上田電鉄の別所線で走っていた昔の電車。丸い窓が存在していたことで知られている。
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