旅館組合の定期的な会合に出席して来た夫である社長が、戻って来るなり議題の最後に出た問題で盛り上がったと教えてくれた。
千壽子が女将をしている旅館は古くから知られる温泉地にあり、3種類の異なる泉質に恵まれており、温泉通には知られる存在だった。
最寄り駅には新幹線の「こだま」が停車する駅と在来線の駅が直結しており、大都市圏からも便利なので訪れるお客様が多い。
夫が話題となったと言った問題は、この最寄り駅から温泉地までやって来るタクシーのことで、地元で名物とまで呼ばれる個人タクシーが存在している事実だった。
駅から温泉地までは県道で15分程で到着するが、全てセンターラインが黄色の追い越し禁止になっており、そんなところから物議になったものだった。
「駅前のタクシー乗り場に並んでいる個人タクシーなのだけど、60歳を超える運転手の方が個人タクシーの免許を取得してからずっと遵守していることが安全運転で、お客様が乗車されている時は制限速度より10キロダウンして運転されているというのだよ」
それを聞いて千壽子は思い出したことがあった。チェックインをされる際にお客様から「タクシーの安全運転には驚いたよ。この地域ではあんな速度で走っているのかな?」と聞かれたことである。それは確かに個人タクシーが送客されていた筈。ひょっとしてあのタクシーで?と思った。
「そのタクシーの後方には数珠つなぎになって渋滞するそうだし、タクシーの前はずっと車の姿が見えないというので、交差点でそのタクシーが通って後方を走ることになると誰もが『ついていない』と思うらしいよ」
黄色のセンターラインの追い越し禁止区間を誰もがイライラしながら後方を走行することを余儀なくされているが、中には追い越しをして検挙されたケースも何度かあり、取り締まる側の警察でも話題になっているそうだ。
会合ではご本人に誰かが話してみたらという意見もあったらしいが、副組合長がその運転手さんのことを昔から知っているそうで、そんな話をしたらもう10キロダウンして走ることになるだろうと頑固な性格を説明され、結果として仕方ないということになったそうだ。
旅館という立場でお客様から「観光タクシー」の手配を依頼されることもある。短いケースは2時間コース。半日コース、1日コースなどもあるが、この地の観光スポットを巡るコースで出発される前に行程について説明をすることにしているが、安全運転と理解していても、スタッフ達はその個人タクシーに依頼することは避けているそうで、スタッフ全員が知る存在でもあった。
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