中国地方の山間部の温泉地に瀟洒な和風旅館があった。そこで女将をしている紀和子には忘れられない思い出があった。それは、芸予地震と命名された大きな地震に遭遇したことで、それによって1ヵ月近く休業を余儀なくされることになり、今回の九州の地震が他人事では思えない紀和子だった。
大分県の山間部にある知られる温泉地の旅館の女将と古くから交流があるので心配していたら、昨日に電話があってしばらく休業すると窮状を訴えていた。
余震が続いている中で観光組合の緊急会合が開かれ、地元の行政にも一部の負担をして貰って各施設の危険度調査を専門家に依頼したら、レッドカードやイエローカードという施設が数軒指摘され、彼女の旅館も木造建築の旧館がイエローカードの対象となってしまったそうで、建て替えなければお客様にご利用いただけない現実となった。
観光組合が行政の観光課と共に危機管理に備えて3年前に専門家に調査して貰ったことがあり、結果から何軒かが耐震対策工事に取り組んだが、まさかこんなに早く熊本で大きな地震が発生し、余震が自分達の温泉地まで広がって発生しているので衝撃を受けているが、お客様を危険に巻き込む訳には行かず、これを機に一致団結して地震に対する安全対策を講じる必要性に迫られ、金融機関とも相談して組合全体で対処することになったことを知った。
毎日キャンセルの電話が掛かって来るそうだが、彼女の旅館側からお客様に休業をしなければならないことを伝えることも進めており、ご旅行の予定を勧められる場合は安全が保障されているホテルや旅館を紹介すると説明しても、大半の方がキャンセルの電話をしようと思っていたと言われるそうで、旅行の予定そのものを取り止めるような事態で深刻になっているようだ。
紀和子は2001年の3月24日に発生した「芸予地震」のことを思い出した。午後3時半頃だったと記憶しており、すでに一部のお客様がチェックインを済まされていたところで起き、その瞬間に停電してしまったので大変だったし、交通機関が不通になってしまったので来られなくなったお客様も少なくなく、遅くまで電話が通じなかった不便を強いられ、二度と体験したくない出来事だった。
その地震の震度は紀和子の温泉地で「6弱」だったが、今回の熊本の「震度7」や「6強」という数字は信じられないレベルで、何回も大きな余震が続いて不安な心身で避難生活を強いられる方々のことを考えると堪らなかった。
今日のニュースで本震と発表された深夜の大きな1地震の震度が「7」に変更されていて驚いたが、現在でも10万人以上の方が避難されているというニュースがあったし、50名近い犠牲者があり、まだ行方不明という方が数名おられるそうなので衝撃だが、夫と相談して今後の地震に備えて対策を講じる必要を実感している。
学校の体育館に避難している親戚がいる。電話があって「そうなんだ!」と知ったのが高齢のお母さんが喘息で苦しまれているという気の毒なこと。「咳」をすると迷惑になるからと廊下に出て寝ているという。
その話から想像出来ることは幼い子供のいる家族の存在で、長引くとますますストレスが強くなると思うと悲しくなる紀和子だった。
自宅が倒壊したり危険が指摘されて入れないケースが多いそうだが、家族みたいに大切にされていたペットの存在のことも気に掛かる。
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