真理子が若女将から女将と呼ばれるようになってから3年が過ぎた。旅館の一人娘として生まれて結婚もせずに後継しているが、先代女将である母の体力低下からこうなった背景があっても、この仕事が自分の性格に合った天職のような気がしていた。
そんな母から行きたい所があるということで、親孝行をと2人で北海道へ4泊5日の旅をすることになった。トマム、富良野、洞爺湖、函館という宿泊地を決め、昔から交流のある旅行会社の部長にJRを含めた予約を依頼、往路は羽田から千歳へ。復路は函館から羽田という行程だった。
母は頸椎と腰に持病があり、座席に長く座っていると厳しいことから、贅沢だが飛行機はプレミアムクラス、列車は全てグリーン車を利用することにしたが、シートを倒す時に後席の方に事情を説明するのは真理子の仕事。何方も「どうぞご遠慮なく」や「大変ですね」と優しい言葉を掛けていただいて嬉しかった。
千歳空港から次の駅である南千歳まで快速を利用、そこから「特急スーパーとかち」でトマムへ向かったが、途中で車窓の外は大雨が降り始め、駅に着いたらタクシーでホテルへ移動をと考えていた。
列車はトマム駅に到着して驚いたのが無人駅という事実。タクシーなんて1台も見当たらないが、降車した10人ほどの人達が停車していたバスに向かうようなので着いて行き、運転手さんにホテル名を告げると「終点ですから」どうぞと言われて安堵した。
10分ほど走行すると高層の建物がツインで並ぶホテルに到着。真理子達二人だけが車内に残って出発したが、5分ほど走ると「到着です」と案内されて降りることになった。
上品そうな中年の男性が「お疲れ様でした」とバッグを手に玄関からフロントへ案内され、ソファーの席で宿泊カードに記入をしてから部屋に案内された。
「こちらがお部屋ですが、館内の説明をさせていただきます」と言ってリモコンを手に取ってテレビの専用画面で施設案内が始まった。この棟は全室スイートになっているそうで、リビングも広く、寝室が別室となっており、広いバスルームにはジャグジーシステムがセッティングされていた。
全てのマニュアル通りの説明が終わって彼が退室したが、この棟にあるレストランは全て予約制となっており、待たされることが嫌いな性格の母のことを考え、すぐに食事が可能なビュッフェに行くことにして1階のロビーに行った。
「あちらの扉を只管真直ぐに進んでください。レストランに着きますから」
フロントスタッフにそう言われて森の中に造られたトンネルを10分ほど歩いたが、ふと思い出したのがバスが先に停車したツインタワーのホテル。方向と距離からするとそちらに向かっているようだった。
やがて広大なレストランに到着した。天井が高いが人の声でワンワンと聞こえて来る。そこにいる人達はパッとみただけで300人はいただろう。
2人の姿を目にした女性スタッフが「お食事ですか?」とやって来たが、言葉のイントネーションが変で、どうやら日本人ではないようで、他のスタッフと会話していう時に中国語らしいと知った。
母は後期高齢者の年齢だし、杖を手にしている。なのに2人が案内されたのは料理のある場所から最も離れた所。直線距離で40メートルはあるだろう。母がトレー片手に歩けるとは思えず、真理子の分は後回しでと考えながら母の好きな料理を集めていたら、「私がフォローさせていただきます」と女性スタッフがやって来てくれた。彼女は母の杖の姿が目に留まって気になっていたようで、言葉遣いの綺麗な日本人だった。
2人で食事を勧めながら、日本人と中国人のスタッフの気配り心配りの違いを考えさせられた体験となった。
バブルの時代を象徴的に物語るこのホテルも日本のリゾートホテルグループから中国資本に変わっている。世界的にスキーヤーの人気があるニセコも現在はヒルトン系が目立っているが、シェラトンが進出した中、リッツ・カールトンやパーク・ハイアットなどが入って来るそうで、北海道だけではなく著名な温泉地のホテルや旅館が外国資本に買収されている事実も起きている昨今だ。 続く
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