日登美がこの旅館に嫁いで若女将から女将になって随分と経つが、もうすぐ還暦の齢を迎えるので体力の衰えを感じている。
そんな日登美に夫は次々とサプリメントを購入してくれるが、その全てがテレビのネットショップで案内されているもので、商品名を見ながらそのCMの映像が浮かんで来る。
日登美は四国の四万十川の近くが出身地。沈下橋の上から男の子に交じって川へ飛び込んだこともある活発な女の子だったが、兄が2人おり、姉もいるので自分の進みたいことが叶えられ、神戸の大学に入って4年間の学生生活を過ごし、地元の知られるホテルに就職。そこで知り合うことになった男性が夫で、この旅館の後継者だった。
まさか自分が若女将や女将という立場になるとは想像もしなかったが、実家の両親も旅館に嫁いで若女将になると初めて報告した時は信じて貰えなかったことが懐かしい。
そんな両親を夫が招待をして親孝行をと提案してくれたのは結婚した次の年だった。伊勢神宮に参拝して賢島に宿泊。特別の魚介類の夕食を準備したので山間部で生活していた両親がびっくり。次の日は近鉄特急で松阪駅まで出て、肉料理で知られる「海津」で焼肉を食べ、「こんな肉は初めて!」と嬉しそうな表情が忘れられないが、松阪駅からJRの「特急南紀」で勝浦へ行き、勝浦港から専用船でホテル中之島へ行ったのだが、この時に皇后陛下と娘さんがホテル浦島へ行かれるのと重なり、勝浦港は大変な状況だったが、「お2人のお姿を目にすることが出来て最高の土産話になった」と喜んでいた。
次の日、夫の提案から朝食を午前7時半に済ませ、すぐにホテルを出発して勝浦駅からタクシーで太地へ行ったが、この行動は大正解で、30分遅かったら通行止めになっていたことが判明した。
南紀白浜のアドベンチャーワールドにも立ち寄り、「特急くろしお」で天王寺まで行き、そこから新大阪まで同行して新幹線で見送ったが、その後に女将になってから京都観光へ招待したこともあった。
旅館の女将として従事する中で、勝浦での皇后陛下と偶然に出逢ったことから数年後に知ることになったのだが、娘様が嫁がれる前に皇后陛下と熊野の地へ参拝され、湯の峰温泉の「老舗旅館あづまや」です過ごされたことも知った。
交流のある女将仲間に皇室をお迎えした旅館もあるが、半年も前から地元の保健所からの指導もあり、想像以上に大変だということを学んだ。
日登美の旅館に外国のⅤIPが来館されたことがあった。それはご本人が「日本の旅館らしいところを」とご要望されたことから候補になって決まったものだったが、その時の大変な苦労や裏話は体験した者でないと理解出来ないものである。
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