昨夜で、テレビの皇后陛下の特集を放送していた。これまでの皇室とされての様々なご活動もあったが、その中に娘様とご一緒に南紀へご旅行された時の出来事が紹介されていた。
山奥に入ったところにある歴史ある旅館で宿泊され、当時に対応された女将さんが思い出話をされていたが、極めて普通の部屋にお布団を敷き、枕を並べてお2人がお休みになられたと語っていた。
解説によると皇居でのしきたりは母子であっても寝室は別になっているそうだが、この部屋で過ごされた一夜は思いで深いひとときとして印象に残っておられると拝察申し上げる。
皇室を迎えているとなれば警備も大変である。皇宮警察、SP、地元の警察など多数の人達が数日前から対処されていたと想像する。
阪神淡路大震災から10年目に行われた追悼式の前日に神戸の会場に入ったことがあったが、座席名簿を確認する機会があった時に知った事実は想像もしなかったものであった。
両陛下が出席されるところから、会場となった公館に入るだけで随分前から車のナンバープレートや本人の情報を規定通りに書き込んで申請しておかなければならないし、会場の座席の通路で両陛下が通られるサイドはすべてSPと皇宮警察官となっていたからだ。
さて、話を南紀に戻すが、お2人が南紀へ来られた際、偶然に私も身内の旅行で南紀へ出掛けていたのである。
前日は伊勢の賢島に宿泊、近鉄特急で松阪駅からJR紀勢線の「特急南紀」に乗り換えて勝浦駅まで利用したが、予約していたホテルへ向かうために乗船しようと港へ行ったら、そこは只ならぬ大勢の人達が集まっている。何事かと思いながら乗船したら、船のスタッフの人から皇后陛下が娘様とこれから「ホテル浦島」へ向かわれることを教えられ、別の船を見たらお2人のお姿を確認することが出来た。
我々が利用したホテルは「中の島」だったが、旅行会社から「浦島は予約出来ません」と言われた事情を初めて理解することになった。
南紀も「熊野古道」が世界遺産として登録されてから多くの観光客が訪れるようになっているが、当時はあまり人気のある観光地ではなく、大阪からの鉄道も白浜から先はカーブの連続で随分と時間を要して大変だったし、導入された「振り子式車両」で気分を悪くされる人も多く、国道42号線も「酷道」という別称がある事実があった。
そうそう、勝浦で宿泊した次の朝、お2人が鯨やイルカで知られる太地へ行かれることを知り、朝食を早めに済ませて出発。それが大正解で、我々が太地へ向かった道路はその後に通行止めになったそうで、読みが的中してラッキーな体験となった。
太地はシーシェパードの問題から騒がしくなっているが、当時はそんなことを想像もしなかったことである。
今日の写真は勝浦の観光桟橋を。
山奥に入ったところにある歴史ある旅館で宿泊され、当時に対応された女将さんが思い出話をされていたが、極めて普通の部屋にお布団を敷き、枕を並べてお2人がお休みになられたと語っていた。
解説によると皇居でのしきたりは母子であっても寝室は別になっているそうだが、この部屋で過ごされた一夜は思いで深いひとときとして印象に残っておられると拝察申し上げる。
皇室を迎えているとなれば警備も大変である。皇宮警察、SP、地元の警察など多数の人達が数日前から対処されていたと想像する。
阪神淡路大震災から10年目に行われた追悼式の前日に神戸の会場に入ったことがあったが、座席名簿を確認する機会があった時に知った事実は想像もしなかったものであった。
両陛下が出席されるところから、会場となった公館に入るだけで随分前から車のナンバープレートや本人の情報を規定通りに書き込んで申請しておかなければならないし、会場の座席の通路で両陛下が通られるサイドはすべてSPと皇宮警察官となっていたからだ。
さて、話を南紀に戻すが、お2人が南紀へ来られた際、偶然に私も身内の旅行で南紀へ出掛けていたのである。
前日は伊勢の賢島に宿泊、近鉄特急で松阪駅からJR紀勢線の「特急南紀」に乗り換えて勝浦駅まで利用したが、予約していたホテルへ向かうために乗船しようと港へ行ったら、そこは只ならぬ大勢の人達が集まっている。何事かと思いながら乗船したら、船のスタッフの人から皇后陛下が娘様とこれから「ホテル浦島」へ向かわれることを教えられ、別の船を見たらお2人のお姿を確認することが出来た。
我々が利用したホテルは「中の島」だったが、旅行会社から「浦島は予約出来ません」と言われた事情を初めて理解することになった。
南紀も「熊野古道」が世界遺産として登録されてから多くの観光客が訪れるようになっているが、当時はあまり人気のある観光地ではなく、大阪からの鉄道も白浜から先はカーブの連続で随分と時間を要して大変だったし、導入された「振り子式車両」で気分を悪くされる人も多く、国道42号線も「酷道」という別称がある事実があった。
そうそう、勝浦で宿泊した次の朝、お2人が鯨やイルカで知られる太地へ行かれることを知り、朝食を早めに済ませて出発。それが大正解で、我々が太地へ向かった道路はその後に通行止めになったそうで、読みが的中してラッキーな体験となった。
太地はシーシェパードの問題から騒がしくなっているが、当時はそんなことを想像もしなかったことである。
今日の写真は勝浦の観光桟橋を。
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