「観光情報を調べられない」とネットを開けられない夫がぼやいているが、退屈しながらテレビのスイッチを入れても英語ばかりなのでさっぱり分からず、「風呂でも入るか」と言ってバスルームのバスタブに湯を入れていた。
バスローブ姿の夫が「マッサージでもお願いしてみようか?」と行ったが、言葉が通じないのだから肩が凝ることになるから止めようと賛同しなかった。
ベッドは俗に言われるキングサイズでびっくりするほど大きかったが、長い枕があったので抱き枕として用いたら楽だった。
次の日の観光は昼間のオペラハウスに行ってみようということになってその日を終えたが、少し早目に目が醒めて贅沢だが朝風呂に入ってからゆっくりと化粧をしていたら夫が起き、着替えて朝食に行こうと2階にあるレストランに行った。
エレベーターの停止階のボタンは「1」なのでややこしいが、日本人の多くが間違って「2」を押してしまうそうだが、扉が開いてから「ここと違う」と気付いて「1」のボタンを押し直すことになると教えられた。
外国旅行を何度も経験している夫は、言葉が通じなかっても何とか単語を並べるコミュニケーションパワーがあるので頼もしいが、キャンベラのホテルのレストランでパンのコーナーが分からなかったやりとりを思い出すと面白い体験だった。
このホテルで2泊することになっていたが、朝食は今回の1回だけ。明日は早朝の便で日本へ向かうので朝食をしている時間がないのである。
「オーストラリアはアメリカやヨーロッパより好物があるので歓迎だ」と言う夫の思いは小振りのジャーマンポテトが何処のホテルでも出て来たからで、朝食、夕食のブッフェにそれと卵料理が確実にあるので喜んでいたが、オージービーフを楽しみにしていた嘉代子は少し残念な思いがあっても、それを伝えることはしなかった。
レストランに日本人の姿はなかったが、外国人が食事をするナイフとフォークの使い方がさすがに上手だと2人で話していた。日本人が「箸」を使いこなして慣れていることと同じことだが、2人は他人の目を気にしながら食事を進めていた。
ティー担当の30代と見える女性スタッフがテーブルにやって来た時、2人が日本人であることを確認すると妹が東京のホテルに勤務していると話し始め、我々が中国人ではなく日本人と思ってくれたことに夫が喜んで意味不明の単語を並べて会話をしていたことが面白かった。
そんなところから食後のティータイムをゆっくり過ごした。紅茶は何杯でもお代わり可能だし、レモンであろうがミルクであろうが添えてくれるので飲み放題というところだろうか。そんな時に思い出したのが、夫が東京の一流ホテルのラウンジで体験した驚愕の価格で、もう20年前の話なのに、ロビーのラウンジで待ち合わせていた友人達とコーヒーを飲んだのだが、メニューに「3500円」「2500円」などのコーヒーがあったそうで、さすがにそれは避けて「1800円」のコーヒーを中注文して2回お代わりしたという体験談だった。
朝食を済ませてからオペラグラスのある公園に出掛けたが、夜とは異なる光景があるのは当たり前だが、周囲の海の様子を見ることも出来るので素晴らしかった。
杖を手にする夫には階段が大変みたいだったが、端の手摺りのある所に行ってゆっくりと歩行しているのをフォローした。
それにしても世界中に知られるオペラハウスだ。多くの観光客の姿がある。特に目立って多いのが中国人の団体で、彼らは会話の声が大きいのですぐに分かった。
港から湾内を観光出来る船に乗ろうかという誘いもあったが、風が強くて波が結構高かったので船酔いしてしまうと思った嘉代子は「乗らない」と固辞した。
ジェラードやポップコーンを買ってベンチに腰掛け食べたが、キャンベラから比べると寒くなかったので過ごし易かった。
6月と言えばオーストラリアでは冬の季節の入り口である。東西に4000キロもある国土なので日本的な感覚からすると実感することが難しいが、コートを持参しなくてブレザー姿でやって来た夫が、「日本では暑かったけど、ここはやはり寒いな」と言っていたが、バッグの中にマフラーを入れて来たことは役立つことになった。
ホテルに戻ったのは暗くなる前だった。夕景のオペラハウスを見たいという夫の意見に付き合ったが、嘉代子も冷え込みを感じ始めたことを伝えて戻って来た。
夕食は前日と同じレストランだった。オペラハウスからホテルに戻る途中にレストランがあり、玄関の所にメニューが掲示されていたが、その高額な価格にびっくり。夫の説明によるとこの国の人達の年収は日本より高いそうで、そんな背景もあるようだと言っていた。
この夕食がオーストラリアでの最終の食事となる。夫は相変わらずジャーマンポテトと卵料理が中心だったが、「味噌スープ」と表記されていたのを「味噌汁」だと思って持って来たら、全く別物で嘉代子に回されることになったが、お世辞にも美味しいと言えるものではなかった。
夫は「部屋に戻ってからやることがあるから」と夜食を食べたくならないようにパンを幾つも持って来てバターやジャムを添えて食べていたが、部屋でやることを聞いてみたら、明日の早朝にホテルを出発しなければならないからで、フロントへのモーニングコールやコンシェルジュに空港までのタクシーの予約を依頼することだった。
言葉がペラペラなら電話で簡単に済むことだが、単語を並べる会話なら対面が重要である。部屋に戻ってからの夫の行動はメモ用紙に出発時間やモーニングコールの時間を書き込み、それを手にしてロビーへ行って来ると言って部屋を出て行った。
嘉代子は忘れ物のないように荷物を整理してキャリーバッグに入れ、バッグを手にするだけで出発出来るように準備しておいたが、それが終わるとノートの中に書き入れて来た土産品を必要とする人達のリストで、数量のことを考えると出来るだけ嵩張らない物を選択することが必要だった。
続いてチェックしたのがオーストラリアドルの残金で、大半の支払いはカードで済ませたが、幾らか交換していたこともあり、それらを空港で土産物を購入する際に使ってしまおうと考えていた。
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