私の年齢になると友人や知人が入院することも少なくない。朝の喫茶店でのモーニングタイムや立ち寄った蕎麦屋さんでも薬を服用する光景を目にすることが多いが、齢を重ねると何らかの身体の異変兆候を感じるもので、おかしいと思われたらすぐに医療機関に行くことは重要である。
「あの時に診察を受けておれば」なんて後悔をしないように願っているが、病気の発覚に恐怖感を抱いて行動しないのは最悪で、「手の施しようがありません」という医師の言葉だけは聞きたくないものである。
これまで10回の入院で転院を含めると12回も体験しているのだから言えることだが、たった1日我慢しただけで悪化させてしまうケースもあるので要注意。いつもの医院にと考える前に大規模病院の救急外来に飛び込む行動も忘れないようにしたい。
数日前、軽症で救急車搬送の場合は有料になんてニュースがあったが、その判断を誰がするのかは簡単ではなく、何か最善策がないのだろうかと思ってしまう。
発病から時間が問題というケースもある。経過してしまうと深刻な後遺症ということも考えられ、私が体験した受け入れ先の病院が見つからず、救急車の中で30分も過ごしたことは誰にも体験して欲しくない出来事である。
病院の壁にポスターが貼られている。「救急車はタクシーではありません」という見出しが目に留まったが、110番や119番への悪戯電話やタクシー代わりに呼ぶ人もいることは事実だが、それによって本当に必要な人達に影響が及ぶことは罪深い行為である。
外国へ出掛ける時は、前以て当事国の緊急自動車要請について調べておくことは不可欠である。昨年にオーストラリアに出掛けたが、そこでは電話を掛けた際に「警察ですか? それとも救急ですか?」と確認され、目的を伝えてからつないでくれるシステムだったが、救急車は有料となっていた。
これまでの入院で様々なお見舞い品をいただいたことがあるが、そんな中に心に残っている物がある。見舞いに来てくれた2日後に自宅へ届いた宅配便だったが、それは加湿器で、「病室が乾燥していましたので」というような内容の手紙が添えられていた。
明日の午後に入院している友人を見舞いに行くが、何を持参するべきかと頭を悩ませている。2時間程度の腹腔手術だったので食べることは問題ないようで、季節のフルーツである「サクランボ」でもと考えているが、私が入院していた時に「たこ焼き」を差し入れてくれたことが印象に残っている。
手術の前日は病室にそれぞれの担当医が来室され、最悪の想定も説明されてサインを求められるのが一般的だが、執刀医、麻酔科医などが別室で模型を出して説明されることもあり、受けたくない心境になることになる。
CTやMRI検査の画像を見間違った事件も発生しているし、間違った資料から別人の患者を手術するために開けたら、患部がないことから別人だったと判明した医療ミスも発生している。
今日の写真は定期的にMRI検査を受けているNTT病院を。
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