キャンベラ・パークハイヤットホテルは外から見ているイメージと中は全く異なっており、低い建設設計だが随分と奥行きがあってびっくりするような広さがあり、この国の首都で旧国会議事堂に隣接しているという歴史があることからも知られるホテルだった。
部屋は如何にも高級ホテルの雰囲気があり、テーブルの引き出しには多くの種類のミニバーがセットされており、独立した別のテーブルもアンティークなイメージで、クラシックな電気スタンドがマッチしていた。
このホテルで2泊することになる。部屋に案内してくれたスタッフにチップを渡す慣習もあるのでそうしたが、外国のこの慣習はあまり好きではなかった。
バスタブも深くて長いのでゆったりと出来たし、シャワールームが独立しているので使い勝手がよかったが、部屋の窓から外を見ると少し離れた建物の中が見え、そこがスポーツジムのようだった。
次の日の朝食はホテル内のレストランでブッフェを選択。専用のラウンジを利用すれば食事も可能だったが、言葉の自信がなかったので一方通行で伝わるこの選択をしたのである。
外国のホテルでブッフェを食べるとパンの種類の多さとジャム類の多さに驚くことになる。日本も朝食をパンにする家庭が増えたが、ジャムを何種類も揃えているケースは少ないだろう。そんな話題になったら夫からヨーロッパのホテルでジャムが20種類ぐらい揃っていたところもあったと教えられた。
朝食を済ませてから少し寒かったがホテルの周辺を散歩した。広い道路を走っているバスを見てびっくり、自転車を後部に積めるようになっているからで、そんな人達の利用が多いようだ。
やはり冷え込んで来た。そこでホテルに戻って戦争記念館に行くことにした。タクシーで15分ぐらいの距離だが、見学する間の1時間を待って欲しいと伝えると快く「OK」と言ってくれた。
この記念館は過去に我が国の展示について物議になった出来事がある。それは日本軍の展示コーナーでお馴染みの海軍の軍艦旗を上部からライトの中から映し出す仕掛けで床に映し、そこを通る人達が踏んで行くという流れになっていることにクレームをつけたものだが、かなりややこいしい問題として話題になっていたものである。
この記念館には第2次世界大戦で連合軍の一員として日本軍と戦った歴史も表記しており、ちょっと日本人がからすると抵抗感を覚えるが、戦争が何と愚かでつまらないかを学ぶことになることは確かである。
招集礼状によって出征する日本兵が日章旗の周囲に寄せ書きをされた資料展示や、終戦が近い頃に日本兵に投降を呼び掛けるビラみたいな物もあり、知らなかった歴史の事実を学ぶ貴重な資料が多く展示されていて見応えのある館内だった。
さて、ホテルに戻って夕食をどうするかということになって「またレストランでのブッフェにする」と言うのでそうした。
6時少し前にレストランに行くと、背の高い黒人のスタッフが立っており、「ブッフェを」と伝えると腕時計を見せながら「少し時間があるから待ってください」と言った。
自分の時計を確認すると営業時間まで10分あり、ロビーに続く長い廊下に置かれたオブジェや美術品を見ながら時間を過ごし、6時を少し過ぎてから行くと笑顔で迎えてくれた。
案内されたテーブルに着き、30種類ほど並んだ料理から食べられそうな物をゲットして来たが、ここにも夫の好きな小振りのジャガイモ料理がいっぱいあり、これだけで夫はこの国で1ヵ月でも滞在可能だと笑っていた。
パンを探しても見つからず、スタッフに伝えても全く通じないので困っていると、その人物が急ぎ足で出て行き、しばらくすると若い東洋系の女性を伴って来た。
「お客様、何かお困りの様ですね。私は日本人のホテルスタッフですからご安心ください」と言われ、「パンが見つからない。このブッフェではパンは用意されていないのでしょうか?」という質問をすると、彼女を呼びに行ったスタッフと背の高い黒人のスタッフがすぐに料理の並んだコーナーに行き、そこに白布で隠されてしまっていたパンの存在を見せてくれ、「申し訳ないことで」と営業を始める前に白布を取ることを行わなかったミスを謝罪してくれた。
それにしてもなぜそんなやりとりの英語が通じなかったのだろうかと不思議だったが、夫は予想外の展開に自分の英会話に対する自信をなくしてしまったようだった。 続く
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