ノーベル文学賞を受章していた作家「ガルシア・マルケス」氏の訃報があった、有名な作品に1967年に発刊された「百年の孤独」があり、このタイトルは我が国では入手が難しい焼酎の銘柄として知られている。
焼酎の人気が高いようだが、稀にしか飲めないという「森伊蔵」という名柄がいっぱいあったのは指宿温泉の「白水館」で、同宿した友人が「珍しい」と言って何倍も飲んでいた。
そのホテルと「森伊蔵」を醸造している酒造メーカーとは特別な関係があることを知ったが、何より製造本数が少ないところから希少価値ということになっているようだ。
焼酎の「百年の孤独」が全国区になったのは、あるテレビ番組の中で「皇太子殿下が晩酌されている」という芸能人の発言からだが、これも販売本数が少ないことで知られている。
福岡県大牟田駅のすぐ近くに「一歩」という素晴らしい割烹が存在し、ご仏縁に結ばれる同業者の友人と何度も行ったことのあるお気に入りだが、ある時、北海道からやって来た友人と一緒に行った際、板場の所に並んでいた多くの焼酎瓶の中に「百年の孤独」があり、その人物が「何とかならないだろうか?」と言ったら、「お持ち帰りは出来ませんが、店内ではお好きなだけお飲みいただけます」と配慮いただき、テーブルの上に一升瓶を持って来てくれたことが印象に残っている。
そこは九州の友人がよく利用しているところから対応くださったのだろうが、所望した本人が感激していたのを憶えている。
私はこれまで焼酎は一回も飲んだことはない。いや猪口一杯だけ飲んだことがある、知人の居酒屋で日本酒を注文したら、間違って焼酎が入っていたもので、「変な感じ」と言ったら、同行していた人物が味見をして「これはお酒ではなく焼酎」と確認してくれた。
料理を運んで来てくれた女将さんに事実を伝えるとすぐに厨房の方へ行かれ、やがて「ごめんなさい。並んで置いていた焼酎の方を燗してしまったようです」と謝罪された。
詳しくは知らないが、焼酎には「麦」と「芋」があり、その時に口にしたのは「芋」だったそうだが、何か強烈な思いを抱いたので忘れられない記憶となっている。
熱燗で思い出したのが九州のある地で行われた結婚披露宴での出来事。宴酣という段階で同じテーブルにいた男性が仲居さんに「熱燗を5本ほどお願い」と追加を頼まれたのだが、しばらくして並べられた兆子から注がれた日本酒を飲んで「これは酒ではない。湯ではないか!」と言われたので大騒ぎ。周囲にいた人達がそれぞれ確認の味見をしたら間違いなくお湯。その事実に仲居さんの上司の人物が平身低頭謝罪。兆子を温めるために入れてあったお湯の分を間違って持って来ていたことが判明した。
「いくら酔っ払っていても、湯と酒の違ぐらいは分かるぞ」とご立腹されていたが、間に入って穏便に解決する役割となったことも懐かしい思い出となっている。
病を患って日本酒もビールもご法度となった。元々飲まなかった方なのですぐに禁酒は出来たが、「飲んではいけない」と言われると何か潤滑油が枯渇したみたいで、人生が寂しくなった気がするこの頃である。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「お酒のこと」へのコメントを投稿してください。