バブルの時代にオープンしたゴルフ場が多かったが、この数年は経営母体が変更となったり閉鎖されるケースが目立って多くなっている。
百合香が女将をしている温泉地の近くにもそんなゴルフ場があるが、各宿泊施設から予約が可能と宣伝しても、そんなお客様が全くないというのが厳しい現実だった。
そんな中、2年ほど前から話題になっているゴルフ場があり、その近くにある温泉地が思わぬ恩恵を被っているという話題があった。
その話は観光組合の研修会で招いた講師が紹介したもので、ゴルフ雑誌で「食事が美味しいゴルフ場」の第一位にランクされ、2年間ずっと首位というのだからびっくりだし、ゴルフより食事を目的に行く人達まであるそうなので信じられなかった。
バブル時代に高額な料金を掲げていたゴルフ場で、日曜日や祝日にプレーすれば朝のコーヒーや食事代を含めると4万円以上だったというところも多くあったが、今で食事付きで7000円以下というところもある。
講師の話によると、そのゴルフ場の昼食は和風定食のみで1800円もするのだから驚きだが、それを目的に行かれるお客さんがある事実に興味を抱く人も少なくなかった。
この話にはある逸話が流れている。これだけ有名になっているのに調理をしている人や厨房のことが一切不明で、この仕掛けをしていた人物がその地に近い温泉地の組合長だという噂も流れていた。
百合香も過去にゴルフに興じていた時代があり、そのゴルフ場も3回ラウンドしたことがあるが、当時はそんな話題を耳にすることはなかった。
この話を料理長の宅間にすると今でも時折にゴルフに行っている彼が「女将さん、一度行ってみましょうよ」と誘い、車で1時間程度なので行くことになった。
観光組合の組合長夫妻もゴルフをされている。過日の話から興味を抱かれていた組合長も「連れて行ってくれ」ということになり、予約を入れてその週の内に行ってみた。
そして午前中のラウンドが終り、昼食タイムを迎えた。カレーライスやエビフライなどもあったが、大半の人達が「和風定食」を注文している。4人もそれを注文して楽しみに待った
やがて4人のテーブルに「和風定食」が運ばれて来た。お節料理のように3段重ねになっている。ゴルフ場でこんなメニューが出されているとは想像もしなかったが、添えられている吸い物を口にした料理長が突然「これは!」と声を発した。
その言葉から後の3人も吸い物の味見をしたが、何とも言えない風味の出汁で、組合長の奥さんが「普通じゃない!」と驚かれた。
「女将さん、これ、親っさんの味です」と料理長が言った。「親っさん」とは彼が師事していた料理人の世界の親方で、トップクラスのホテルの和食料理長をしていた伝説の人物である。
定年退職をされてから体調を崩されて現役を引退されたと聞いていたが、「間違いなく親っさんの味です」と言う料理長で、厨房へ行って確かめて来ますと立ち上がろうとした彼に「待ちなさい」と百合香が止めた。
「料理人や厨房内の情報が一切ないという話があったでしょう。それは何かの事情があるからでしょうし、あなたが飛び込んで行くことも問題があるわよ。こんな時はスタッフの方のお願いしてメモを届けて貰うのよ」
そう言うとスタッフの女性にお願いをしてメモ書き出来るような物を頼み、「親っさんの味に出会いました。懐かしいです。宅間と申します」と書いてスタッフに届けて貰うように頼んだ。
それから2分ほど経った時、「懐かしいなあ。宅間君」と厨房から登場されたのは宅間が師事していた「親っさん」ご本人だった。
この知られるゴルフ場になったのは近くの温泉地の観光組合の集客の仕掛けだったが、あるクリエーターの描いたシナリオが見事に開花したという裏話が伝わっている。引退している至宝を三顧の礼で迎えることになった経緯もまるでドラマのようで、百合香はレジェンドとなっている人物に会えて感動していた。
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