昔は社葬で辞退されるケースはあったが、一般的な個人葬で辞退するケースは皆無だった。お互い様感情や、日本の慣習の文化として伝わって来た香典が、香典返しが面倒だからという考えもあって辞退されることが増えたが、それらについて質問した際に葬儀社の担当者は次のように言っていた。
「葬儀は用意や準備をしていなかったということが重要で、取り敢えず葬儀を行うという考え方もあり、中陰期間に使用される『線香立て』や『花立』から『位牌』なども白い物を用います。取り敢えず行われる葬儀だから持ち寄るのが香典で、持参される側も自分の悲しみのかたちをお金に託するという意味もあるのです。それが49日間を過ぎて満中陰を迎えたらお返しをするのが習わしで、記録された香典帳に目を通されると、どの方とどのようなつながりがあったかを把握することも出来ますし、辞退をされたケースで終わってからお供えがいっぱい届いて大変だったという体験談も出ています」
そう言われた兄だったが、これまでに会社関係で参列した多くの葬儀でも辞退されていたケースが多く、そんな時代なのだと辞退することにしていた。
最近では辞退するのが理解されているが、社葬でない「個人葬」での辞退では大変な問題が起きていた歴史もあった。
「親父が亡くなった時に香典をいただいている。そのご本人が亡くなられているのに辞退するとはどういうことだ」
「喪主のあなたに持って来たものではない。故人の供養としてお供えしやいのだ、それを拒否するとはどういうことだ」
「私の地域でも辞退するケースは多いが、親戚の香典は受け付けるのが常識だから受け取って欲しい」
そんなやりとりが受付で交わされている光景も多かったが、香典を辞退されるケースでは参列者名簿の記入だけでお金にタッチすることもないところから、担当している葬儀社のスタッフが受付を任されることも増え、「こちらでご記入を」なんて案内をしていることも少なくない。
香典の辞退で特に難しいのは親戚関係のもので、全国各地からやって来る親戚達がその地の慣習を持ち寄って参列するのでややこしい問題に発展することもある。ある地域では亡くなられてから24時間以上経過しなければ「香典」と書かずに「見舞い」と書くところもあるし、お通夜と葬儀の両方に参列する人がお通夜で包むのは香典ではなく「目覚まし」という表記で、故人が目を覚まして欲しいという願いと夜通しで灯の番をする人達が眠らないようにと願う「木魚」の意味みたいな意味もあるようだ。
そんな葬儀を終えて初七日を済ませてから戻った匡恵だったが、数日間は心身ともにかなりの疲労感から仕事を離れていた。
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