女将の貴和子は62歳。長男が後継者として若旦那と呼ばれているが、彼が結婚して旅館の仕事を手伝ってくれることになり、2年間の仲居体験が済んで若女将と呼ばれる立場になった。
彼女は誰もから美人と言われる容貌で、この温泉地でも一番の美人若女将として注目されており、定期的に開催される女将会や組合の会合に連れて行くと彼女がいるだけでその場が明るくなるみたいで、貴和子はその明るいイメージが嬉しい存在となっており、彼女を「女将」と呼ばれるように立派に育て上げなければと厳しい指導もしていた。
日常の仕事の中で困った問題が一つあった。それは部屋係の仲居達がお客様に「若女将特別な美人ですから」と言ってしまうからで、それによって女将が夕食時に参上すると「若女将が美人だそうですね。一度ご尊顔をお拝し奉りたいものです」と言われることが多いからである。
仲居頭に申し伝えて仲居達に若女将のことは話さないようにと言っているが、最寄駅からやって来られるタクシーの車内で運転手さんが話題にすることもあるようで、「運転手さんから聞いたのだけど」と切り出されることも少なくないので困っている。
息子である若旦那と話したら、タクシーの運転手さん達に「話題にしないようにとは言うべきではない。言ったらイメージダウンに尾を引くから」と反論され、それもそうだと納得したが、これからも部屋へ挨拶に参上した際に聞くことになると思うと気が重い感じもしていた。
そんな悩みからロビーで困惑している姿を見た支配人が、「女将さん、お悩みのご様子ですね?」と近付いて来て想像もしなかったアドバイスをしてくれることになった。
「女将さん、これから若女将を伴って各部屋にご挨拶に参上されたら如何ですか。その方がお客様にもインパクトが生まれますし」というものだが、考えてみればそれこそ何よりの妙案ではないかと理解に至った貴和子は、支配人に「今日からそのようにするわ。なぜ気が付かなかったのかしら」と返し、いつもの女将らしい表情になった。
「失礼いたします。当館の女将でございます」という言葉で参上する各部屋回りの挨拶だが、若女将を伴って入室すると。「あっ、美人と評判の高い若女将さんも来てくれたのか」とお客様に歓迎のお言葉をいただくようになり、その評判はいよいよ口コミから広がり、やがて観光情報誌の表紙に登場したり、美人若女将達が出演する企画のテレビ番組に出演することになり、若女将の存在は今や全国区になった。
この項の結びに裏話を紹介しておくが、息子が彼女と知り合ったのは不思議な縁があった。息子がある女性に恋をして失恋した時に元気付けてくれた友人の妹が彼女で、ひとめぼれをしてその瞬間に失恋の相手のことも忘れたそうだった。
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