麻弥子が女将をしている旅館の歴史は古く、江戸時代が始まる前に温泉宿として存在していたという古文書の歴史が残されている。
社長をしている夫の名前は「惣佐衛門」で、この名は代々受け継がれて来ており、夫は「嫌だけど宿命だから仕方がない」と嘆いている。
歴史を研究する大学教授が古文書を調べて判明したのは、この旅館を開いた人物の出生地は現在の隣町になり、庄屋をしていた名家であった。
その隣町に古い寺が存在するが、ずっと檀家総代を続けており、その寺の歴史を調べた教授の話では時の権力者が何かのきっかけで建立したもので、その権力者は中学生の歴史教科書にも登場する人物である。
社長が檀家総代、麻弥子は女性信徒の会の副会長を務めているが、過日に行われた先代女将の法要の際、入院されている前住職の容態が芳しくないことを聞き、いざの場合には寺葬を執り行うのでよろしくと頼まれていた。
そんな中、現住職から夫に電話があり「今日の夜7時にお寺へ」ということから夫婦で車で向かった。
車内での夫婦の会話で前住職の容態が悪いのではということになったが、寺へ到着すると予想もしなかった体験をすることになった。
集まったのは檀家総代や女性会の役員の他に青年部の役員達で、30数名が揃っていた。この寺のボランティア活動は知られており、阪神淡路大震災の時に何度も「炊き出し」に行ったし、東日本大震災の被災者への炊き出しにも本山の青年部と共に行動しており、現住職のリーダーシップは宗門の中でも有名で、檀家の人達にも尊敬される宗教者として認識されていた。
庫裏の広間に集まった人達に住職が合掌をされて感謝の意を告げられ、続いて次のように言われたのである。
「前住職は病室で私に『寺の本堂で往生したい』とわがままなことを言い出し、坊守とも相談をしてその最後の望みに応えることにしました。前住職は、今、本堂の阿弥陀様の前で横になっており、周囲でご仏縁に結ばれるお寺のご住職さん達にお念仏を唱えていただいております。前住職は病室で私に懺悔するような告白をいたしました。『過去に一人の人物を救うことが出来ず、その人物が自殺をされてしまったことがずっと心残りになっていたのだが、さっき、その人物がやって来て【ずっと気に掛けてくれて有り難う。君の責任ではないよ。安心して】と言ってくれたのだ。これで安堵した。後は本堂の御本尊様の前で往生することが出来れば』となりまして、病院の先生にも相談してこのようにいたしました」
そして全員が本堂へ移動。いつも門信徒達が座る畳の上に布団が敷かれ前住職が寝ておられる。側には前坊守が合掌の姿でお念仏を唱えておられる。堂内に入った全員も自然にお念仏を唱えるようになって10分ほどが流れた。現住職が手を挙げられ、堂内にいる人達にお念仏を止めるような仕種をされ、本堂内が静寂な空間となった。
「あ~落ちる。地獄へ落ちる。救けてくれ~」
それは前住職の如何にも苦しそうな声で、堂内に言葉で表現出来ないような雰囲気が生まれ、その声を聞かれた人達の中の誰かがお念仏を唱え始めると、また堂内にお念仏の唱和が流れた。
そして、また現住職が皆を制するような仕種をされた。堂内がシーンと鎮まる。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、あ~助かった。地獄も本当にあったけど、お念仏で救われることも本当や」
それが前住職の最期の言葉だった。それはそれこそ最後のお説教だったように思えてならない出来事だが、この寺と門信徒達の絆がまた一層強くなった瞬間だった。
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