数日前、温泉組合の会合があった。議題は温泉街にある旅館の廃業問題なのだが、後継者がなく築年数も古く、耐震対応を強いられている背景があり、廃業も仕方がないと言われていた。
しかし、その旅館が取り壊しされて新しい宿泊施設が建設されることが判明。その経営姿勢が普通でないことから温泉組合が悩みの種として対応を考えようと集まったものだった。
新しくオープンを進めている会社はすでに他の温泉地でも営業を始めており、その地でも大変な問題になって話題を呼んでいるのだが、果たしてどうするべきかと考えても具体的な対応策が見つからないので困惑していた。
その宿泊施設の営業戦略は男性客を目的としており、AコースからDコースまでの4種類の選択によって宴会の内容が変わるというもので、4人に1人。3人に1人、2人に1人、1人に1人というコンパニオン接待が主流で、俗に言われる風俗的な宴会が売りになっていた。
旅館組合の長老と呼ばれている人物がいる。組合員から「生き字引」と称されているほど旅館ビジネスの歴史に造詣があり、若い人達を集めては遠い昔の信じられない世界を教えてくれていた。
会議に出席していた女将の佳代子は、夫がこの人物の話を何度も聞いていつも驚くころばかりと言っていたが、今日の話は佳代子も信じられない話で、出席していた人達と一緒に黙って耳を傾けていた。
「随分昔の話で随分と遠い温泉地へ行った時の話をしよう。そこは知る人ぞ知るというような隠れ温泉地で、最寄駅からタクシーに乗り、国道、県道を経て温泉地につながる山道に入るのだが、しばらく下った処に旅館街が見渡せる峠があり、タクシーの運転手さんがそこを通過する時には必ずクラクションを鳴らしていたのだ」
峠から旅館街まで5分弱で到着するそうだが、この温泉地に行かれるお客さんは誰も予約をせずに行っていたというのだからびっくりである。
「クラクションが聞こえたらお客さんが到着されるということで、各旅館にいる御客さんの付いていない全ての仲居さん達が表に並んで迎えるのだが、タクシーはゆっくりと走行してお客さんが『ここだ!』と声を出される所で停止し、お客さんが気に入った仲居さんのいる旅館に入るシステムなのだ」
皆が初めて聞く話らしく会場が静まり切っている。そんな環境で長老が話を続けた。
「その仲居さんが部屋に案内してくれ、『お風呂になさいますか?』と聞かれてそうするとなると大浴場で背中を流してくれるのだから最高だったし、その後の夕食の時も担当してくれるのだから至れり尽くせりというサービスだったよ。でもね、そんな旅館の情報が誰かの口から流れて2流の週刊誌に掲載されてしまい、男性客が殺到してしばらくすると当局の捜査が入って営業内容が制限されてしまってね。一部の旅館が売春まで提供していた事実が表面化したからだが、私はお布団の準備をして貰ってからいつも『お休み』と言っていたけど信じてくれる?」
誰も長老のその話を信じなかっただろうが、佳代子は長老のフェミニスト的な人柄を知った出来事もあり、この人らしいと思いながらその話を聞いていた。
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