雅美が女将を務めている旅館は2階建ての23室という規模だった。全ての部屋が花の名称となっており、各部屋の床の間にはその花の絵が掲げられているが、それは絵の世界に卓越した技能を有し、造詣深かった先代女将が描いたものだった。
落款をよく見ると旅館名がベースになっているので気付かれるお客様もあり、部屋に挨拶に参上した際に話題になることもあったが、あるお客様が利用された部屋の花の絵と扉のある廊下側に掲げられた部屋名の表札を撮影され、ご自身のブログで紹介されていることをメールで知らせてくださったこともあった。
パソコンでそのアドレスを開けたら、紀行という形式でこれまでに宿泊されたホテルや旅館の写真と共に評価も掲載されており、中には厳しい言葉で指摘されていた旅館もあったが、雅美の旅館は結構嬉しい内容だったので喜ぶことになった。
そのブログを訪問される方が多いようで、ホテル、旅館、航空会社のCMがトップページに並んでいたのでかなり知られたブログのようだが、もしも低い評価で書かれたら命取りになる危険性もあるのでネットの世界は恐ろしいものだ。
雅美の懇意にしている女将もブログを発信しているが、ある時に「ブログを打ち込む時間があるならもっと接客した方がよいのでは」という辛辣な返信が入っていて衝撃を受け、それから彼女はそれがトラウマみたいになって閉鎖してしまった。
ホテルや旅館のHPには支配人やスタッフのブログも多いし、「女将の独り言」「女将のブログ」というのもいっぱいあり、ネット社会の到来を再認識する雅美だが、手紙を書いたりする場合の文字には自信があるが、文章力については恥ずかしい限りで、ブログを発信するなんて雅美には縁遠い世界だった。
毎日夕方に口コミサイトの確認をしてくれているスタッフがおり、この旅館のことが書かれているとプリントアウトしてから届けてくれるが、それに対する返信の仕事は雅美で、ノートに書いてスタッフに手渡すと口コミサイトへ返信として送信してくれている。
口コミサイトにお客様が感想を投稿されて返信しなければ、投稿されたご本人だけでなく、そのサイトを訪問された方々にも「対応していない」という抵抗感が生じ、一方通行的な書き込みでも対応を余儀なくされるもので、専門スタッフを決めてコメント返信をさせているホテルや旅館もあるが、文章の冒頭からご指摘の答えに入るまで同文が並んでいるのは横着な対応をしているように思え、雅美の返信はすべて異なる内容になっているので驚かれている。
投稿には賛辞とクレームに分かれているが、第三者的に判断しても「それはないでしょう」というクレームもあり、短気な性格と思える女将の返信が「二度と当館には来ないで他の旅館をどうぞ」と書いたところから炎上してしまったケースがあったが、雅美にはその女将の心情も理解出来た。
何でもかんでもお客様の我儘を貫こうという姿勢で「ごり押し的」な無茶もあるが、訪問者がサイドから「それは投稿者の考え違い。行き過ぎと言うものです」と返信があって、ひょっとしたら旅館関係者の方かなと思った出来事もあった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「フィクション 女将、ネット社会に悩む」へのコメントを投稿してください。