女将が笙子に提供してくれた部屋は離れになった露天風呂付きのもので、落ち着いた純日本的な庭園を観ながら入浴出来るので恐縮する笙子だった。
その露天風呂にも温泉が溢れているのでこの温泉地が湧出量の多さで知られる世界を垣間見た思いがした。
15分毎に自動で熱い湯が流れ入るようになっているのでいつ入浴することも可能だったが、脱衣場の壁に「ご入浴される前に左側の柱にあるボタンを押してください。3分間、熱いお湯が入ります」と案内表示があり、夕食前に入浴しようとボタンを押したら、浴室で湯が流れる音がしたので扉を開けて確認したら、蛇口から湯気の立つ如何にも熱そうな湯が足されていた。
温泉旅館という仕事をしていると入浴に関しては本当に恵まれて有り難い気がする。学生時代に都内の安い賃貸マンションでの生活体験があったが、足を延ばして入浴するなんて不可能で、友人達と週に一度は銭湯へ出掛けていたことを思い出す。
部屋付きの露天風呂とは贅沢の極みみたいだが、最近は何処の宿泊施設でも充実する傾向にあり、露天風呂がないホテルや旅館は設備が悪いと敬遠される時代となっている。
大学を卒業してから旅行会社に憧れて入社。5年間務めていた中で知り合ったのが旅館の後継者だった夫だが、出会った当時の出来事を懐かしく思い出しながらまた寂しくなった笙子だった。
出会いがあるから別れがある。この世に生を享けたら死を迎えるのは必然で宿命。愛し愛され共に働き生きて来たが、大切な夫の命が忽然と終焉を迎えた出来事には神仏に怒りを訴えたい思いもするが、ある本を読んだら「定められ、与えられた命」という言葉が目に留まってハッとした。
いつの間にか眠りそうになっていた。気が付けばかなりの時間が経っていたようで、少し逆上せ気味になっていた。
浴衣と羽織を着てしばらくした頃に女将が来室。部屋係の仲居さんが運んで来てくれた夕食を2人でこの部屋でする段取りが始まった。
「笙子さん、今日はお客様のお部屋のご挨拶はすべて済ませておいたの。いつもなら夕食時に参上するのだけど、今日は特別。あなたが来てくれたのだから」
そんな嬉しい言葉に「ごめんなさい、有り難う」と答えた笙子だったが、夫に先立たれてから涙脆くなった自分再認識するひとときともなった。
悲しみに対する慰めや癒しは同じ体験をした人が最適と言われているが、故人との思い出話を語り合うことも「薬」という分析もあり、その両方に女将が通じるので笙子の傷心を少しでも和らげる九州の夜でもあった。
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