我が家のポストには宗教団体の冊子が入ることが多い。最近でも「エホバの証人」「幸福の科学」「天理教」などが入っていたし、一昨日は信じられないことだが葬儀社のチラシがポスティングされていたのでびっくりし、大切な家族が偶々急病で入院されている家だったらどうするの?と考えてしまったが、ビジネスだと割り切った考え方の行動だと想像する。
インターホンが鳴って対応すると宗教団体の勧誘訪問ということもある。玄関まで出て行って「私、葬儀の仕事をしているので様々な宗教の存在を知っています」と答えたら、「葬儀の仕事!嘘でしょう?」と返されて窮することになったこともあった。
昨日に投函されていた天理教の冊子にイギリスの諺が紹介されていた。引用されていたテーマは「正直」ということで、異なる意見もあるでしょうがというお断りも書かれていた。
「一日幸せでいたければ床屋に行きなさい」
「一週間幸せでいたければ車を買いなさい」
「一ヶ月幸せでいたければ結婚をしなさい」
「一年幸せでいたければ家を買いなさい」
「一生幸せでいたければ正直でいなさい」
そんな言葉だったが、アナウンスの勉強をしていた頃から「床屋」という言葉は使用しないように指導されていた。
様々な職業で「屋」という言葉に抵抗を抱かれることも少なくなく、何気なく使用している言葉でも気を付けなくてはならないことがある。
我々の業界でも「葬儀屋」という言葉に抵抗感を覚える若い人達が多く、「葬儀社に勤務しています」「葬祭サービスの会社に勤務しています」と拘っている人物もいた。
「パン屋」「タバコ屋」「魚屋」「蕎麦屋」「薬屋」「八百屋」などから映画のタイトルになった「ポッポ屋」まで様々あるが、「ベーカリーショップ」や「鮮魚店」と言い換えるとイメージが変わるのも事実である。
遠い昔に言葉で配慮するべきと教えられたのが浜辺で見られる「西瓜割」と運動会での「二人三脚」で、目の不自由な方を冒涜していることにつながったり、足の不自由な方に失礼というものだった。
言葉を美しく喋ると人格が変わると言われるし、「言」は「動」を変える友教えられた。また「汚い」という言葉を「美しくない」と言い換えると和らぐことも事実で、瞬時にそんな配慮が出来るようになりたいと常々思って来たが、感情が言葉として伝わってしまう怖い事実もあるので簡単ではない。
そうそう、前述した葬儀社の社員達のことで印象に残っていることがある。入社すると社会保険に加入させて健康保険証が届くが、弊社の社名が入った健康保険証を医院で出すと窓口の人が驚かれるそうで、「凄い葬儀社さんにお勤めなのですね」と言われてことを聞いた。
それは弊社の社名が物語ることだが、社員にとってはまんざらではない出来事だったようである。
今日の写真は南北が逆になった地図を。オーストラリアで土産物の一つとして販売されている。
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