新山口駅から車で15分も走れば湯田温泉という有名な温泉があるが、そこに松田屋という旅館があり何度か利用したことがある。
印象に残っているには司馬遼太郎さんがお気に入りだったという部屋と幕末の志士達が利用したという「維新の湯」だが、立ち寄る価値のあるところである。
今回の行程では湯田温泉方面ではなく長門の方だったので、秋芳洞の近くを走行して仙崎へ出たが、宿泊したのは歴史のある大きなホテルで、大浴場に行くのにエレベーターを使って部屋から5分ぐらいを要した。
部屋に置いてあったタオルを持参して大浴場に行くと、番台みたいなコーナーにおばさんがおり、「小さなタオルと大きなバスタオルはこちらを」と持って来てくれた。
温めが好みのところから気泡のジェットバスに入ったが、噴出パワーが半端じゃないほど強烈な勢い。どこかを掴んでいなければ流されてしまうほど。そこで少し温まってから通常の広い湯船に入ったが、適当な温度でゆっくりと過ごしていたら、おばさんがブラシを手にして床を磨き始めたので落ち着かなかった。
しばらくして脱出したが、さすがに温泉で、部屋に戻ってから身体が火照って大変だったが、足の冷えだけはどうにもならないみたいで早起きして朝風呂に行って来た。
午前6時に男性用と女性用の浴場が入れ替わると案内があったが、それよりも少し後で行くことにした。
様々なホテルを利用したことがあるが、別府の杉の井ホテルがオープンして間もなくの頃に利用した時のことを思い出した。
フロントでチェックインをして「係りがご案内しますのであちらでお待ちください」と言われてロビーに座っていたら、「お待たせいたしました」と仲居さんが来られたのは15分後のこと。荷物を台車に乗せて案内してくれたが、部屋まで行くのに7分ぐらいを要する。施設の案内時間を省いても往復するだけで15分も掛かるのだから大変。
部屋の中に入って大浴場の場所を教えられてもエレベーターを乗り継がなければならないと知って部屋の風呂だけにした思い出である。
その後も何度か利用したことがあるが、初めて宿泊してから44年の月日が流れた計算になる。
当時は湯布院や黒川温泉はあまり知られておらず、やまなみハイウェイを走行する行程での通過コースになっていたようだ。
由布院の御三家と言えば「玉の湯」「亀の井別荘」「無量塔(むらた)」で、昔の「玉の湯」は温泉情緒があってお気に入りだったが、リニューアルしてしまって全くイメージが変わってしまった。
時の流は環境を変えてしまったり経営姿勢が180度異なるケースもある。利用したことのあるホテルやゴルフ場の経営者が変わって名称が変更されると何か寂しくなるものだが、今回利用したホテルのオーナーはびっくりのインド人だった。
朝食後に仙崎に向かって「金子みすゞ」記念館に行ったが、建物が増設されたみたいで、前にはなかった資料の展示が増えていた。
「金子みすず」のいう名前はペンネームで、「みすずかる」という枕詞から命名を選択したと書かれていた。
多くの人達が入館している。コーナーに大人用と子供用の書き込み自由のノートがあった。不自由な手で書き込んで来たが、名前はあるコラムを発信する際のペンネームにしたので誰が見られても分からないだろう。
今日の写真は「金子みすゞ」記念館を撮影したもの。
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