4人の予約のお客様が到着された。コネクティングルームをご希望された二組のご夫婦だと知ったが、男性の人物を見てロビーにいた女将の綾子はびっくりした。なぜならその人物の顔を知っていたからで、ご本人は気付かれていないようだが、十数年前に夫と2人で参加した東京でのセミナーの講師だったからで、旅行会社が主催されたその時の受講から、この旅館が大きくサービスを変えたからであった。
受講する前にリニューアル工事の予定があったが、講師の話からもう一度基本的な設計を変更したこともあり、この温泉地の中で最も客室稼働率が高いという実績も、旅行会社からの評価が高く認識されているからで、来日観光客が増えている最近にあって、外国人の来館も増えている。
講師がその時に提案されていたのが畳敷きの客室の考え方。部屋食をするなら高齢者の存在も考え、椅子席の発想も重要だというもので、各部屋で少し低めの椅子の準備が可能にしたのはそれで知ったからだった。
またフロントでチェックインをされてから担当の仲居が客室へ案内するが、ウェルカムドリンクなどをロビーで行う場合は荷物とお客さんは一緒に行動するようにしなければならないことや、勝手に寝具の準備に入ったり朝食でお食事処へ来られている間に寝具を片付けるなんて以ての外。ルームキーをお客様に手渡した瞬間から勝手に無人の部屋に入ることは有り得ないことだという指摘で、リニューアル時に寝室を別にして低めのベッドにしたのはそんな問題を知ったからだった。
綾子は社長である夫に連絡。想像もしなかった方が来館されている事実を伝えたら、夫は驚くと同時に「一緒にお部屋にご挨拶に参上しよう」ということになった。
綾子はフロントにあるご予約カードの書類を確認したが、ご一緒に来られているもう一組の方の名前になっていたみたいで、記憶していた講師のお名前はなかった。
夕食をご希望されていた時間は6時半だが、ご挨拶には6時に参上。室内に入ると講師をされていたご夫婦の方が下手に座られており、床の間を背に座られるお客様はどんなお仕事をされているのだろうかと興味を覚えた。
「東京のホテルで開催された旅行会社主催のセミナーで先生のお話を拝聴し、衝撃を受けて戻って参りました。丁度リニューアル工事の予定があったのですが、大きく変更して現在のような寝室を別にするようにいたしました」と社長が言うと、すぐに綾子は「お聞きして初めて知ったことも多く、サービスの流れを大きく変更したきっかけも先生のご提案でした」と言葉を添えた。
「彼の講演を受講されたのですか。面白かったでしょう。彼は現在でも様々な分野で講演活動をしているのですが、彼の本業をご存じですか?私は僧籍にあって住職をしていますが、彼は葬儀会社の社長をやっているのです」
綾子夫婦はその話を耳にして驚きを新たにした。旅行会社の主催するセミナーにどうして葬儀会社の社長が?」と思ったのだが、住職という人物が次のように紹介してくださった。
「彼は昔から全国で講演活動をしており、ホテルや旅館を利用することも多く、そんな体験談をホテル業界や旅行業界で求められるようになったのですが。私も本山研修会に参加した時の講師が彼で、それから深いご仏縁に結ばれて現在に至っているのです」
葬儀社の社長が本山研修会でお寺さん達に講演をされている事実を知ってびっくりしたが、充実した新鮮な講義内容は印象に残っており、何より説得力があったことは確かであった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将、予想もしなかったお客様が」へのコメントを投稿してください。