祐美子が女将をしている旅館には意外なものが貸出可能となっており、部屋のテーブルの上の案内プリントに表記しているのだが、これがびっくりするほど貸出要望が多く、導入してからすぐに台数を増やして対応している。
それは血圧測定器で、乾電池式の家庭用の物だが、「大浴場へ行かれる前と部屋にお帰りになった時の数値は?」と添え書きを入れていることが影響しているようで、今や各室に一台を備えなければならなくなっている。
チェックアウト時のお客様のお言葉の中にも「血圧チェックが出来てよかったよ」と言われることが多く、それを会議で提案したスタッフが「どや顔」を見せているのが面白い。
高齢者の場合には血圧に関して神経質になっている方が多く、生活の中でチェックされていても、旅先まで測定器を持参されることは少なく、夫がいつもお世話になっている医院の先生のアドバイスもあり、夕食時の飲酒の影響などを計測されることも大切という一文も添え書きに入れている。
ゆったりと入浴されてから測定をされると、血圧が下がっているケースが多いが、これは血流がよくなることに併せて精神的にリラックスに至っているとも考えられる。
あるお客様に貸し出したら、ご主人がびっくりする高血圧だったことを初めて知られ、ご帰宅されてから病院で診察を受け、高血圧症状と診断されて降圧剤を服用されるようになり、奥様から「お陰様で」という丁寧な感謝のお手紙を頂戴したことが嬉しかった。
先代社長夫婦のどちらも高血圧で、社長は高血圧を原因とする心疾患で亡くなっているし、先代女将は脳出血で倒れて長期の入院生活をして亡くなったこともあり、夫は「遺伝があるかもしれない」と血圧には神経質で、日に何度も測定しているのだが、左右の腕で測定して数値と測定時間を全て記録している。
そんなこともあってスタッフ会議で提案された「血圧測定器の貸し出し」に賛同してすぐに実践したのだが、まさかこんなに要望が多いとは想像もしなかったことで、温泉旅館と健康がつながることはよいことだとHPの挨拶文にも表記するようになった。
血圧の測定は仲居や厨房スタッフなど全スタッフが興味を抱いたみたいで、毎日計測しているスタッフもおり、仕入先の人達が来館した際に計測を勧めている光景まで出て来ている。
数日前、祐美子が風邪の症状から医院で診察を受けた際、先生が血圧に関して面白い話を聞かせてくださった。
「女将さん、病院で血圧を測定すると医師の白衣に影響して精神的に緊張して上がると言われているのですが、意外なことにその反対もあることをご存じですか。それは『ここは病院だ。どこか悪い部分を見つけてくれるだろう』という期待感が安心感となり、血圧を下げることもあるのです」
その話を戻ってから夫にすると、「初めて知った」と驚いていた。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将の旅館の貸し出し」へのコメントを投稿してください。