2月の末に3人のスタッフが退職した。一人は副支配人だった人物で、60歳の定年後も嘱託として5年間勤務。先代女将の時代から長年勤務していたのでその代わりの人物が育つまで大変だが、過日に行われた送別会で後継の新副支配人が「皆で頑張ります」と挨拶していた。
ベテランの仲居の一人が退職した。東北の農家が実家だが、高齢のお母さんの介護が必要になって長女という立場と数年前に夫に先立たれていたこともあって実家に戻る決断をしていた。
3人目は料理長が弟子として厳しく育てていた30歳の人物だったが、料理長の師匠でもある彼の親父さんが大病を患って後遺症が生じ、営業していた割烹の存続問題から彼が戻るしかない選択があった。
春の季節は卒業や入学という時期でもある。女将の美枝子の旅館でも上述の三人が退職した中、この春から4人の新人スタッフが入社しており、3月1日から勤務して毎日研修業務が行われている。
昨日は夫である社長が旅館サービスについて2時間の講義をしていたが、今日は午後から美枝子が接客について実施研修を行っていた。
「はい、お客様のおられるお部屋へお布団を敷きに入ります。一人ずつご挨拶をして入ってください」
「失礼します。お布団を敷かせていただきたいと思います」
美枝子の旅館では最上階の部屋には和室でもベッドルームが備えられているが、其の下の階からは全ての和室にベッドはなく、スタッフが参上して寝具をセッティングすることにしているが、お客様が大浴場やお食事処へ行かれて不在の時の入室はしないことにしており、合い鍵を使って寝具をセッティングし、お客様が部屋に戻られたら敷かれていたということは社長と女将の方針で禁止されていた。
「いいですか?『思います』っておかしくはないですか? あなたが勝手に思ってどうするの?」
そんな美枝子の指摘に4人が固まってしまっている。どうやら4人共おかしくないと考えていたようだ。
それについて10分ほど講義を行い、続いては最近に多い「コンビニ用語」について気を付けるように教えた。
ビールの名柄を確認する際に「キリンで大丈夫でしょうか?」」や「朝日野スーパードライでよろしかったでしょうか?」という言葉がおかしいということを説明したが、4人は「そうなんだ!」という表情で聞いていた。
「サービス業の接客で否定語は避けるべきで、肯定語で接するように考えてください」
その例としてロビーのコーナーにあるラウンジをイメージさせて次のように教えた。」
「仮にコーヒーが売り切れ状態になっていた時にお客様がコーヒーを注文されたら、『生憎コーヒーは売り切れまして』と対応するのが否定語で、その時に『紅茶ならご用意出来ますが』と対応するのが肯定語と考えて欲しいのです」
4人は真剣に学んでいる。お客様から「有り難う」と言葉を掛けられることは嬉しいことだが、そこに至るまでに学ばなければならないことがいっぱい存在している。
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