男の設計図と父親の歴史
今から9年前の2005年5月、私は当時毎日更新していたブログにある記事を書いた。それが予想外に反響が大きくて、いろんな方からコメントをいただき、自分でも驚いたことがある。
先日、このコラムにある記事を書いた。それは、男性は2年以上働かない状態が続くと老化が進む、という話だ。
人間のDNAには「テロメア」という細胞があり、染色体を保護しているが細胞の分裂にともなって短くなっていく。このテロメアの長さと老化には関係があり、短いと老化が進むことがわかっている。
実験によると、2年から3年の間、定職についていない男性のテロメアは仕事を持っている男性に比べると短くなっていたそうだ。ところが、これは男性限定で、女性には当てはまらない...ということだ。
もしかすると、男は働くために生まれてきた、働くことを前提に設計された生命体ではないかと(おぼろげに)感じた。その時はそれで終わっていたが突然、9年も前の自分が書いたブログのことを思い出した。
どこか似ている。共通点がありそうだ。9年前のブログとは次のようなものだ。
父親は500万年、母親は2億年の歴史昔こんな事を書いていたのかぁ、という懐かしさと同時に、時が経過しても変わらないものがあることをあらためて認識できた。
女と男が結婚して子供が生まれると、女は母親になり、男は父親になります。
この母親と父親ですが、子供との関係において全く起源の異なるものだ、という考えがあります。
生まれたばかりの赤ん坊と母親は、胎内にいた時と合わせて既に10ヶ月の関係ができています。
赤ん坊は母親の母乳を飲み、母親の胸に抱かれて安心して眠る。
身を委ねる側とそれを包む側の関係が自然にできています。
一方父親は、赤ん坊をおそるおそる抱き上げた時から父親になった実感を持つものですが、赤ん坊にとっては自分を保護し、快適さを与えてくれる存在は母親だけで充分なのです。
そこには父親が介在する余地はない。
そういう筆者も父親の一人です。世の中の父親の存在を否定しようと言うのではありません。
父親という存在が子供に果たす役割、影響は決して浅くはないでしょう。
しかし、生命体として赤ん坊と母親の関係を見ると、父親の介在しない母子一体の世界があることは否定できません。
赤ん坊が父親を受け入れるのは、母親を通してなのです。
母親の笑顔がその男に向けられ、男に抱かれた赤ん坊に母親の笑顔が向けられることを確認した上で、赤ん坊は父親の存在を許すのです。(男にとっては淋しいが...)
哺乳類の系統を調べていくと、母子関係は哺乳類の出現と同時に存在しますが、父子関係は存在しません。
それでは、人間社会では父子関係はいつできたのか?
サル社会では父親は存在しない。父親は家族という社会単位ができてから生まれます。
父親は家族の形成によって誕生した、人為的に作り出された社会的存在なのです。
一方、母親は生物的存在でありながら、同時に社会的存在の二面性をもっています。
哺乳類が誕生したのは2億年前。その時点で母親が誕生していたと考えると、”母親”は2億年の歴史を持っていることになります。
一方、人類が誕生してから作り出された社会的存在としての”父親”は、人類と同じ500万年の歴史しか持たない浅い(?)存在なのです。