人生に於ける四大衝撃は「子供の死」「伴侶の死」「一親等の刑の確定」「身近な人の死」となっており、「身近」とは親、兄弟、朋友や特別に親しかった知人などが対象となるそうだ。
そんなところからすると夫を喪った笙子は四大衝撃の二番目に強烈な体験をしたことになるが、深い悲しみに暮れると新聞や雑誌も読む気持ちも失せるし、虚脱感に襲われて無気力な時間の中で流されている自分に気付くことになる。
そんな中、支配人がある人物が書かれた文章をコピーしたものを「是非、読んでください」と持って来てくれたが、それは悲嘆の専門家が創作されたもので、笙子は何かしら心の扉を開けて目を通すことになった。
「人は、辛い思いをしただけ人に優しくなれる。涙は悲しい時にだけ流れ出るものではなく、感情が極まった時に流れ出るもの。人が生きている。生きなければならない証し輝きなのです。人は誰でも悲しみや苦しみを乗り越えて生きなければならない。生かされることが終わるまで真剣に生き、生かされることに感謝をするようになりたい」
その人物は、涙について次のように解説されていた。
「涙の成分は真っ赤な血液で、それが体内で何かが作用して透明の涙として目から流れ出るメカニズムの中で、そのプロセスこそがその人を保護するもので、涙を流すことは自分自身を守る最適な現象なのである」
笙子は夫を亡くしてから気付いたことは、人は大切な家族を亡くしたから悲しいのではなく、振り返る思い出が悲しみをもたらすことで、日々に自身が周囲の人達に思い出を与えている事実であった。
そんな哲学的なことを考えるようになったのは支配人から貰ったコピーからだが、少し悲しみが和らいだみたいで、自身がしっかりとこの旅館を守ることが夫に対する最優先の供養のような気がしてならなかった。
この体験は女将という立場の笙子の意識改革につながったことも事実で、自分の旅館を利用されるお客様には楽しい旅行者だけではなく、中には失恋や笙子のような悲しみの傷心旅行をしている人もおられる筈で、これからはもしもそんなお客様が来られたら、いっぱい話を伺うようにしようと考えていた。
悲しみの体験話は人に話すことによって少しは和らぐことになるし、悲しみを共有することはで思慕感でつながることになり、悲嘆に生まれると言われる「怒り・孤独感・自責感・焦燥感・絶望感」などがある中で一つだけ救いとなるのが「思慕感」と分析されていた。
悲嘆に陥ると判断力が著しく低下するそうだし、酷い時は幻覚や幻聴までも生じるというので恐ろしいが、大切な人を喪うということはそれだけ強い衝撃を受けるということだろう。
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