今日は団体のお客様が来られている。他府県にある商店街の振興組合の方々だが、それぞれが店主として何かの商いを営業されており、積立金をされて毎年の総会を何処かの温泉地でされているそうで、今回は春菜が女将をしている旅館を選んでくださった。
出席された方は男性が33名、女性が8名の合計41名で、宴会の会場は80畳ある宴会場だったが、高齢の方が多いのでテーブルの椅子席という要望されていたので畳を片付けてパーティー会場のように設えていた。
夕方の4時前に大型バスで到着され、幹事の方が決められていた部屋割り表に基づいてそれぞれの部屋へ入られたが、すぐに大浴場に行かれた方も多いようで、ロビー横の廊下を着替えられた浴衣姿で通られる光景は如何にも旅館らしい雰囲気だった。
春菜はフロントで依頼されていたコンパニオン達の対応時間について幹事さんと打ち合わせをしていたが、そこで商店街の現実について寂しい話を聞かされた。
「毎年開催していた総会も今回が最後なのです。後継者がいないところも多く、ご夫婦が高齢になって閉店時間を早くされることも悪循環になりましてね、もう振興組合としての存在意味もなくなって来ましてね、今回は解散総会という訳でコンパニオンさんもお願いしたのです」
昔はこの温泉地にも見番と呼ばれる存在があり、芸者さんがお座敷に呼ばれることもあったが、10年くらい前が最後で、それ以降は若いコンパニオンさんに代わったが、ご夫婦やご家族連れの多い旅館やホテルでは滅多に依頼することはなく、春菜の記憶では2年前の団体さんで依頼したことから久し振りのことだった。
随分昔に先代女将から教えられたことだが、芸者さん達にも秘められた意地みたいな思いがあり、襖を開けて嫌いなタイプのお客さんなら仲間に伝わるように一歩目を踏み出す足をどちらかに決めていたり、過去に呼ばれた時に嫌いなタイプだったお客様に再度呼ばれることになった時は、髪の簪をいつもと違う方にするようなことで自己満足的な抵抗感で対処していた話は女という同性の立場から哀れな寂しい話でもあった。
やがて総会が始まった。次期に関することがないので予算もないところから決算報告、事業報告。監査報告だけになったが、トップである理事長の挨拶の内容も寂しいもので、宴会が始まって春菜が皆さんの席を回って挨拶をしたが、「昔はよかったのになあ」というような嘆かれる言葉が多く、泣き上戸なのかずっと嘆き悲しんでおられる方も一人おられ、隣席の方が「今日はいっぱい泣いてもいいよ」と慰めていた言葉が印象に残った。
こんな雰囲気の中にコンパニオンが存在すると華やかな感じがする。やはり宴会と女性は特別なつながりがあるような気がした春菜だが、最寄り駅から続く商店街もシャッター商店街と呼ばれている現実を思い出し、ちょっと悲しくて侘しい思いもしていた。
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