夕食時にお客様の部屋にご挨拶に行くのが日課だが、女将の美貴はその時間が楽しみでもあった。
24室のこじんまりした旅館だが、高名な建築家に依頼して数年前に建て替えた建物なので、和風旅館を好まれるお客様には落ち着く風情が好評を博していた。
新築前の部屋数は32部屋だったので少なくなったことになるが、それだけ広い部屋を設計したことと大浴場や貸切風呂の充実というコンセプトも予想以上に歓迎されており、口コミサイトの評価も前とは全く異なる内容なので喜んでいる。
美貴の旅館では夕食の時間をお客様のご指定という対応をしていた。午後6時から7時半までご自由に決めていただくというものだが、お客様の中には「6時45分」とか「7時10分」とかを指定されて面白いというお言葉も出ている。
一般的な旅館の夕食時間は30分単位で対応されているが、美貴の旅館ではチェックイン時に確認することになっており、そのスケジュールに合わせて厨房で対応が始まるのだから大変だが、温かい物は温かい内にという基本的なサービス提供はスタッフ一同が絶対条件として取り組んでいることで、その時間割の書き込まれたボードをメモしながら美貴の部屋訪問が始まっていた。
そして50代のご夫婦のお部屋へ訪問したのだが、そこでご主人から「担当の仲居さんが面白いことを言われてね、2人で大笑いをしました」と言われたのでびっくり。<一体何を?>と思った美貴だったが、冒頭に申し上げる口上が終わった後、どうしても気になったところから、仲居がどのように言ったのかを教えていただくことにした。
「いやね、この旅館の最もお勧めの今日の料理は?と質問したのだが、『虎魚のから揚げ』と返されたのだが、その次は?と聞くと『お代わりです』と、つまり虎魚のから揚げを追加注文することと言われたのだよ」
そのことを耳にした美貴は仲居が何処からそんな発言をしたかをすぐに理解することになった。スタッフの休憩室に置かれている必読書となっている「PHP」の中にこの面白い逸話が紹介されていたからで、それを読んで一度体験してみようとした行動のようだった。
部屋から廊下に出ると当事者である仲居が次の料理をワゴンで運んで来ており、笑いながらお客様とのやりとりを伝えたら、「そうです、面白かったのでやっちゃいました。すみません」とはにかむ表情を見せた。
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