ある日の郵便物の中に旅館宛の手紙があり、「女将さんへ」と添え書きがあった。
差し出し人は他府県の方だが、半月ほど前にご利用くださったお客様であることは当日の予約者名簿を確認していた時に記憶しており、瞬時にお見送りした際の光景が蘇って来た。
「お世話になりました。また来ますからよろしくね」とタクシーに乗られたご夫婦だったが、「何かクレーム問題があったのでは?」と心配したことも事実だった。
もしもクレームだったことを考え、事務所スタッフに見せたくない思いもあってラウンジで好きな紅茶を飲みながら封を開いたが、そこには担当していた若い仲居のさりげない心遣いが嬉しかったと書かれてあり、その思いを抱いた出来事を紹介くださっていた。
その仲居は女将の紀代子も期待しているスタッフで、手紙の中に書かれていた「さりげない」という配慮が如何にも彼女らしいと思える出来事だった。
部屋食での夕食が終わり後片付けを進め、やがて寝具のセッティングに入るが、寝具担当スタッフが部屋を出ると部屋担当の仲居が入室してポットの水とグラスを用意する流れになっているのだが、その時に「お休み前になにか服用されるお薬はございますか?」と質問していたそうで、就寝前に薬を服用するなら冷えた水より「白湯」の方がよいと別に届けてくれたというのである。
それは紀代子が教育指導しているものではなかった。どうしてそんなことがと思えて興味を抱き、フロントスタッフに彼女を呼んで欲しいと伝えるとしばらくしてやって来た。
突然の呼び出しで緊張気味の彼女だが、紀代子は「コーヒーと紅茶のどちらがお好み?」と質問し、テーブルを挟んで対話のひとときとなった。
テーブルの上に届いた手紙が置かれている。それを目にした彼女はきっと何かミスを犯して指摘されているように思い、「申し訳ございません」と先に謝罪の言葉を発した。
びっくりした紀代子は「何を誤解しているの。これはあなたの配慮が嬉しかったというお客様からのお礼の手紙よ」と返すと彼女が「嘘!」という表情を見せた。
そこで手紙の内容にあった「白湯」に関して話題を出したら、彼女は意外なことを話し始めた。
「私、夫の両親と同居しているのですが、いつも就寝する前に軽い睡眠導入剤を服用する義父のために白湯を準備しているのです」
そんな体験から彼女がお客様に質問をして配慮したものだが、お休み前に薬を服用される高齢者は多く、これは今後のサービスヒントになると思えた紀代子は、彼女の行動に「有り難う」と伝え、「体感に勝るものなし」という言葉を思い出していた。
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