寒川は午後に担当する自宅葬があった。午前9時過ぎにご当家に向かい、音響設備のセッティングをやっている時だった。
接待担当の女性スタッフ3人がテントの下で何か噂話をしているように見えた。彼女達の仕種や視線の方向から察したのは数分前に真向かいのマンションから出て行った人物のこと。コートの襟を立てた状態でマスクとサングラスという逆に目立つ感じはしたが、その人物の顔を正面から目にした彼女達はそれが誰だったかを確認し合っていた。
寒川もその人物が誰かに似ていると思っていたが、やがて報告に近付いて来た女性の言葉によってそれが確認出来ることになった。
それは誰もが知る著名な芸能人で、出て来たマンションに住んでいるとは誰も考えないギャップが生じていた。
女性が3人寄ると姦しいという言葉があるが、ことが有名な芸能人に関する話題なのでそれは一入エスカレート。自分達の仕事の立場を忘れるなと指摘した寒川だった。
寒川には「舞子」という高校2年生になる従妹がいた。家も近い所にあり小学生の頃から可愛がっていたので何でも相談される立場でもあった。
彼女の父は所謂キャリアと呼ばれる公務員で一人娘ということから溺愛されており、俗に言われるお嬢様学校に通っていた。
冒頭の葬儀を終えて6日目のことだった。舞子が自宅にやって来てびっくりすることを依頼された。
「お願い、その日に芦屋まで車で送って欲しいのです」というものだったが、同級生の誕生日パーティーに参加するそうで、同乗するというもう一人の同級生のことを耳にして驚くことになった。6日前に偶然目にした芸能人の一人娘だったからだ。
舞子の同学年には芸能事務所に所属している子役として知られている子もいるし、バレエの世界で有名な子もいるそうだが、一緒に行くというその子は特別に仲がよいそうで、お礼にサイン入りの色紙をプレゼントするからと言われた。
芸能人のサインに興味を抱くタイプではない寒川だが、こんな偶然があるのだろうかと不思議な縁を感じながら了解すると伝えた。
数日後、その日曜日がやって来た。舞子を乗せて近くの駅まで行くとすでに彼女が待っており、舞子に促されて後部座席に乗り込んだ。
「お世話になります。いつも舞子さんから伺っております」
綺麗な言葉遣いでいかにも著名な芸能人の娘さんらしく、お母さんが美人で知られる女優さんだったこともあり、彼女もびっくりするぐらい美しい顔立ちで、バックミラーを見つめて前方不注意になってしまう危険性さえ覚える程だった。
車内で2人の会話が耳に入る。お父さんは滅多に帰宅しないそうで、撮影に入るとホテル生活も当たり前だが、あちこちに愛人の存在があるという言葉にびっくりしたが、それも芸能人なら仕方がないと割り切っていることに衝撃を受けた。
そんなところからすると、過日にその姿を目撃したのは愛人が住むマンションということになるが、寒川はそのことに触れないでただ只管芦屋に向かって走り続けていた。
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