山陰の海に近い山間部に益子が女将をしている旅館がある。社長を務めている夫が腹部の大手術を受け、1ヵ月前に退院して静養中だが、左の肩甲骨から上腕部に掛けて言葉で表現出来ないような痛みがあって辛いようで、地元の整骨院や隣町の整骨院、また県立病院の形成外科でレントゲン撮影をして診察して貰ったが、「異常は確認出来ません」と言われて「そんなことある筈がない」とこぼしている。
全身麻酔が醒めてしばらくしてから感じ始めたそうだが、何もしたくない辛くて厳しい症状で、何とかならないかと益子も悩んでいた。
益子は自分の携帯電話の他に業務専用の携帯電話を持っている。それに掛かって来るのは料理長、仲居頭、事務長、総支配人、副支配人となっており、その日の業務が終わった際の報告に使用されている。
それ以外にこの電話に掛けることが許されているのはお客様に関するクレームなどの問題が発生した時で、益子は「心臓に悪い電話」と周囲に訴えていた。
その日の夜遅く、最後に電話が掛かって来たのは仲居頭で、彼女が興味深いことを報告してくれた。それは、館内専用のマッサージを担当している整体師が耳にしたという話題で、部屋で担当したお客様から不思議な話を聞き、女将さんに伝えて欲しいというものだった。
その話はすぐに信じられるものではなかったが、益子はすぐに整体師と連絡を取って深夜でもロビーで会いたいと伝えた。
やがて整体師が姿を見せた。益子がソファーに座っているのを見つけると「女将さん、信じられない話ですが、お客様が実際に施術を受けられて改善に至ったそうで、社長さんに役立てばと思って仲居頭さんから女将さんに伝えて欲しいとお願いしたのです」
それは、「私も友人から勧められて信じられないけど、藁をも縋る痛みの持病があったので受けてみたのだけど、『何だ、この心地良さは?』と感じて楽になり、3回目で痛みが消えたので今でも信じられないし、友人や知人が同じ体験をしているので間違いない」というものだった。
その施術というのは「タオ療法」という指圧で、京都の三条まで行かなければならないが、受けてみる価値はありそうだと思った益子は、その予約方法や連絡先を調べて貰うように頼んだら、次の日の朝に「3日後の午後1時に空いているそうで、仮押さえで予約しておきました」と電話があった。
すぐに夫に伝えて3日後に2人で京都に出掛けることになったが、最寄り駅から特急列車で約3時間で京都駅に着き、そこからタクシーで京阪三条駅の近くまで移動するので9時前の特急列車を利用することにした。
列車の車内でも夫は辛そうだった。これで帰りの車中で少しでもよくなればと願っていたが、そこがどんな施設でどんな施術をされるのかは全く不明で、ただ夫の症状が和らいでくれることに期待を寄せていた。
そこは京阪三条駅のすぐ近くにあった。整体師がネットの中のHPからアクセスマップをプリントアウトしてくれていたのですぐに分かったが、昼食に蕎麦を食べてから行ったので予約時間の10分前の到着だった。
担当くださるのは女性の先生だったが、2階に案内されると畳敷きの部屋に薄い布団が敷かれ、可愛い枕がセットされていた。
夫が手術後から現在までの経緯を説明してから施術を受けたが、5分も経たない内に眠ってしまったようで、よほど気持ちがよいのだと確信した益子だった。
「いやあ、気持ちよかった。あれは不思議だ。なぜ楽になったのだろう?」
それは帰路の列車の中で夫が言った体験の感想だが、今回で半分ぐらい痛みが和らいだ
そうで、その後に週に1回、合計3回の施術で改善したのだから驚きだが、夫がそれを教えてくれた整体師に心から感謝の言葉を掛けていた。
「よかったです。私も信じていなかったのですが、その後に自分なりに文献を調べて勉強しましたら、経絡の血流をよくすることが手法のようで、その技術を習得するのは簡単ではないようです」
整体師はそう言って現在も勉強している事実を語ってくれたが、それから半月ほど経過すると彼の施術を受けたお客様が「ここの整体師さん、気持ちよかったわ」というお声を耳にするようになった。
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