都心から余り離れていない恵まれた立地に昔から名湯として知られる温泉地があった。その中の一軒に秋美が女将を務める旅館があった。
秋美という名前を命名したのは2年前に亡くなった父だったが、初めて親になった時が秋であり、女の子の誕生に将来のイメージを託してそうなったと聞かされていた。
秋美はこの旅館の三代目女将になるが、先代女将は母なので一人娘だった秋美が婿養子と結婚して継承している。
秋美は現在32歳。音大卒という経歴がびっくりだが、幼い頃からピアノに親しんでいたことからずっと続け、今でも練習をしている姿を見ることもある。
館内のロビーにクラシックスタイルのグランドピアノがあるが、これは音大入学と同時に父が買ってくれたもの。幼い頃からあったアップライトのピアノからこのピアノに替わり、秋美にとっては何より大切なもの。ロビーを清掃するスタッフにもピアノを拭いたりすることは許さず、自分で優しく拭くほどだった。
秋美の旅館ではユニークなイベントが定期的に開催されており、それは固定ファンに支えられて人気が高く、第3土曜日に行われるコンサートは3ヵ月先まで予約で取れない状態になっていた。
宿泊客を対象に午後8時から洋風の大広間がコンサートホールに設定され、音大時代の友人達を迎えて様々な企画を行っていた。
特に人気の高いのは高齢者向けの「懐かしの映画音楽」で、ヴァイオリン、シンセサイザー、ベース、フルートが入り、ピアノは秋美が担当していた。
その日は和服姿からドレスに着替えるが、常連さん達にはそれも楽しみみたいで、コンサートが終わると記念写真の撮影要望があって大変なのである。
秋美の旅館は62室あり、最大で約300名を迎えることが可能だが、ご夫婦が多いのでコンサート当日で150名程度の人達が音楽を楽しまれることになるが、その日に次回の予約をされる方もあるので喜んでいる。
有名な逸話がある。大歌手として人気の高かった「越路吹雪さん」は、毎年クリスマスイブのコンサートはパレスホテルと決まっており、ディナーショーが終わった時点で来年の分が満席になっていたというものだが、彼女はその日だけはパレスホテルと決められていたみたいで、他のホテルからの依頼を全て断られていたそうである。
その話は音楽仲間で知られることで、秋美もそうなれば最高なんて考えていたが、始めてから1年も経たない内に3ヵ月先まで満席になったことで予想外の反響に緊張しながら、おかしな演奏は出来ないとしっかり練習しているのである。
因みに触れておくが、こんなコンサートを開催する場合にはジャスラックと契約をする必要があり、秋美の旅館は最初から契約を済ませている。
ジャスラックのシステムは様々だが、会場の定員、広さ、入場料の有無によって楽曲の使用料が異なって来るし、使用料は銀行の自動引き落としシステムとなっているのだからしっかりとガードされているようだ。
秋美は女将という仕事も「プロ」でなければならないという哲学を持っている。プロはお客様から指摘されることは恥ずかしいことだし、法に抵触することは絶対にしてはならないという信念も抱いており、ジャスラックの契約もそんな秋美の行動でもあった。
ジャズ、ラテン、ハワイアンなども行ったが、半年先までのスケジュールを決めて発表しておかなければならず、秋美は差し障りが出ないように健康に留意しているこの頃である。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将、旅館で定期的なコンサートを」へのコメントを投稿してください。