ある盛大な合同葬がホテルで行われた。参列者数は1000名を超え、故人が関係されていた組織団体からの「お別れの言葉」もあったが、その内容はどれも故人のご生前の素晴らしいお人柄を物語る内容で、参列者の中に「そうだった」と頷かれる仕種をされる姿も目に留まった。
それから6日目のことだった。ホテルの総副支配人から電話があり、過日の合同葬のプロデュースをした人と司会者の人に会いたいという人物がホテルに来られていると聞いた。
すぐに参上出来ない状況だったので日を改めてお願い出来ないだろうかとなって2日後の午後1時と約束が決まった。
そしてその日を迎えた。地下の駐車場に車を停め、エレベーターでバンケットフロアにある指定されていた部屋に行くと、すでに総副支配人と上品そうな女性が一人来られており。総副支配人の表情から察するとかなり難題が生じている雰囲気があった。
合同葬のことから「会いたい」というのだからクレームでないような気がしていたし、勝手な想像をすると別の方の社葬でも担当することになるかもしれないという思いもあった。
やがて本題に入った。そんな期待は全て消えることになり、彼と総支配人が前代未聞の現実に関してどのように対応すればと悩まされる状態になり、その部屋はしばらく重い空気に包まれ、会話が進むことはなく、しばらく時計が止まったようなひとときでもあった。
時計を戻してみると、その女性が最初に机の上に出されたのは手提げ袋の中にあった写真アルバムで、ページを開けて驚愕したのは過日の合同葬で送られた故人の写真が何枚もあったからだった。
前に座っている女性の写真もあるし、故人が幼い子供を抱き上げられている写真もある。
「これは?」と総副支配人が質問の言葉を発したら、想像もしなかった話が飛び出すことになった。
「実は、私はこの人物の愛人の子で、この子が故人の孫なのです。それはそれはよい父で、時間を見つけては車で来てくれていました」
その女性が現在の生活をされているのは大阪から車で1時間半の場所で、お母さんもそのすぐ近くの家で生活をされていることも知った。
「実は、私はちゃんと認知もされていますし、本妻さんご家族公認の愛人だったと言えばおかしいでしょうが、それが事実の関係でして、私の夫も両親も理解してくれております。そんなところから過日の合同葬に参列しておりましたが、何しろ日陰の身ということで母が余りにも不憫に感じましたし、子としての私の思い、そして命を受け継いだ孫の将来のためにと考えて、我々だけのお葬式を行っていただきたいのです」
出席者はお母さん。娘さん、孫さん、娘さんのご伴侶、それにご伴侶の両親ということで6人ということになる。
やるべきかやらないべきかと真剣に考えて見たが、先に「やらせていただきましょう」と発言したのは副総支配人で、何か同情しているような感じもあった。
この決行に関して重要なことは、絶対に秘密裡に行わなければならないこと。幼い子供の存在があるところからこれからの人生を考えると何か心に残ることを考えなければならない。また、お母さんの家には未婚だったお兄さんさんが亡くなられたこともあり、お仏壇の存在があり、故人が手を合わせていた事実も知るところとなった
そして考えたのは葬儀を満中陰の日に執り行い、同時に満中陰の法要も行うというシナリオ。偶々故人のご宗派とお母さんの宗派が同じだったので欠かせない「読経」を皆さんで唱えていただく式次第も組み込んだし、「お爺ちゃん、有り難う」というお別れの手紙を書かれたお孫さんの言葉も不可欠だった。
ホテル内の6畳程度の小部屋で行われたお葬式だったが、終わってからの「御斎」となる会食、も行い、故人の大好物だった物をシェフが特別にアレンジしてくれた料理も大好評だった。
数日後、その娘さんから私に電話があった。ちょっと時間を頂戴出来ないかということで、「お母さんが感謝の思いを伝えたいので食事を一緒に」というお誘いだったが、「私はご遠慮しますが総副支配人を誘って上げてください」と返したら、その日の内に総支配人から電話があり、「あなたが行かない場に私が行ける筈がありませんよ」と、彼もお気持だけでという言葉で返したやりとりを聞いた。
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