大型バスやマイクロバスの団体のお客様もあれば、最寄駅からタクシーで到着されるお客様もある。
降車されるドアの所まで行ってお迎えするのが女将の都美の日課だが、ある日の夕方の5時過ぎのこと。ちょっと想定外のことが起きた。
ご予約のお客様は一組を残してチェックインが済まされている。早く到着されたお客様は大浴場を利用され、お部屋で寛いでいる時間帯だが、1時間ほど前に電話があって「今日、宿泊可能でしょうか?」というお客様があり、伺った現在地から想定するとご到着される頃だった。
そう思って玄関へ向かった都美の目にびっくりする一台の車が目に留まった。今、玄関に到着した車が普通の車でないからで、一瞬にして「ひょっとして!」と歓迎したくないお客様ではと思ったのである。
都美の旅館では玄関でお客様とお荷物を降ろし、車は担当スタッフが駐車場へ廻すことになっており、別の女性スタッフが降ろされた2つのバッグを手に提げて女将が先導してフロント横まで案内した。
そこでお客様にウェルカムドリンク的な日本茶と和菓子を出すのがサービスの流れとなっているが、この一連の中でお客様のイメージから様々な想像をするのもこの仕事の面白い一面だった。
どちらも50代に見え、男性の言葉や仕種は会社の経営者という雰囲気。女性の方は和服を召しておられるが水商売的な雰囲気は感じられず、着こなしからするといつも和服と馴染みがあるような感じがする。
和菓子を召し上がられる仕種も上品でちょっと車のイメージとは異質の感じを抱いたが、そんな時、車を駐車場へ廻している筈の男性スタッフがやって来て。「お客様、申し訳ございません。サイドブレーキの解除方法が分かりませんので」と言って来たのである。
「ベンツなら解除レバーがるけど、あの車はレバーがなく、ブレーキを踏んでチェンジレバーを『D』に入れたら自動解除出来ますから。伝えておくべきでした。申し訳ない。ごめんね」
そんな丁寧な受け答えをされ、その言葉遣いの普通でないレベルに改めて驚く都美だった。
「あのう、申し訳ございません。あんな大きなお車、私には正直申し上げて無理です。お客様ご自身で駐車場の方へ」
また男性スタッフがやって来て、今度はご自分でと言うことになった。ここで初めてその車が全長5メートル70センチのキャデラックのフルサイズで、5700ccの迫力は映画やドラマで目にしたことがあるが、アメリカの歴代大統領の専用車としても知られていた。
「主人は車が好きでしてね。若い時代から憧れていた車だそうで、私は恥ずかしいからと反対したのですけど購入してしまいまして」
奥様は恥ずかしそうにそう説明され、運転をギブアップした男性スタッフを慰める言葉まで掛けてくださった。
歓迎したくないお客様でないことが判明した。一時的にそう思った時は予約されたのが1時間前だったので「しまった!」と後悔したが、戻られたお客様を案内してゆっくりとお寛ぎいただきたいと思いながら廊下を歩く都美だった。
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