優香がこの旅館に嫁いで30年が流れ、先代女将が5年前に亡くなってから若女将から女将の立場になった。
夫と知り合ったのは今で言うところの合コンみたいなもので、他の大学のサークルとの交流会が企画されたことだった。
夫は大学を卒業してからホテルの専門学校に入学し、その後に実家の旅館に入って若旦那として後継の道を進んでいたが、戻ってしばらくした頃に結婚して若女将となった。
2か月前、夫が東京のホテルで開催されたセミナーに参加。その時に日本で有名な超高級ホテルの総副支配人が講師を務められていたのだが、質疑応答の時に出て来た講師の言葉に「私だったらこうしますが如何でしょうか?」と発言をして、会場内でもの凄く盛り上がって講師から「素晴らしい発想です」と褒められたそうだ。
そのテーマと言うのが面白いもので、その超高級ホテルではお客様のプロポーズのお手伝い演出も担当することがあるそうで、気の弱い男性のためにある部屋を準備し、言葉で言えないプロポーズの言葉を窓ガラスに書いておき、壁のボタンを押すとカーテンが自動で開いてその文字が見えるというものだった。
このホテルのサービスに関するホスピタリティの考え方は徹底しており、最寄り駅からワンメーターで到着するタクシーに対して、玄関スタッフが車内を注視し、もしもお客様が1万円札を出されたら瞬時に運転手さんに「両替」をする体制も知られているし、もちろん客待ちのタクシーには新聞や雑誌を読むことも禁止していた。
また、インカムによる情報のやり取りも徹底しており、例えば幼い子供さんを伴ったお母さんがタクシーで到着され、料金を支払っている時に子供さんが先に降りてしまい「花ちゃん、先に行ったら駄目よ」と言われたことを耳にすると、「今ご到着のピンクのスカートの女の子は花ちゃんです」とフロントスタッフに連絡が入り、それは瞬時に全スタッフに把握されることになり、フロントでのチェックイン時に「花ちゃん、いらっしゃいませ」とかエレベーターを降りたら偶々廊下を清掃するスタッフがいたら、その人物から「花ちゃん、いらっしゃいませ」と声を掛けられたら間違いなく驚かれるだろうが、そんなサプライズはこのホテルの極めて当たり前のことだった。
そんなホテルの副総支配人の発言されたテーマに夫は何を言ったのだろうかと興味深く、「どんなやりとりを?」と聞いたら如何にも夫らしい発想で、会場が盛り上がることになったのを理解した。
その問題は前述のプロポーズのお手伝いだった。総副支配人が窓ガラスに文字を書いて対応して成功し、相手の女性が承諾の言葉を発した際にスタッフ達が「おめでとうございます」とシャンペンを盆に乗せて入室するというものだが、夫は「部屋の窓ガラスではなく100メートルほど離れたところにある何処かのビルの窓に書いておき、それを用意している双眼鏡で」というもので、超有名は高級ホテルのお願いなら何処でも協力してくれるだろうという発想だった。
そのセミナーから半月後のことだった。総副支配人から電話があり、夫がホテルに招待されることになり、「信じられない!」と嬉しそうな表情を見せていた。
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