与志香が女将をしている旅館は大都市圏から車で1時間ほどの山間部にあり、湧出している源泉は数百年前の歴史があり、古くから人気の高い温泉地である。
観光組合が掲げているキャッチコピーは「奥座敷」で、3つの大都市からそれぞれ1時間少しで来られる立地が歓迎されているようで、どこもかなり高額な料金設定をしているにも関わらず予約が難しいという評判も流れているほどだった。
与志香の夫が社長を務めており、数年前に大病を患って現役は退いているが、昔は料理人の世界ではかなり知られた歴史を有し、全国の料亭や料理の世界で活躍している人達が弟子だったという関係もある。
秋を迎える少し前だった。そんな夫から九州へ出掛けようという誘いがあった。行先は佐賀県の武雄温泉で、そこで知られる割烹をしている人物から招待を受けたというものであった。
日を決めて行くことになったが、「さくら」を利用して新鳥栖駅で「特急みどり」に乗り換える行程で指定券を購入してその日を迎えた。
「特急みどり」が武雄温泉駅へ着くと、ホームにその人物が待っていてくれ、2人の手荷物を持ってくれて大きなワンボックスカーに乗せてくれた。
旅館は和風で武雄温泉の有名な「楼門」のすぐ近くだった。数百年の歴史がある旅館で宮本武蔵にゆかり深いというコーナーがロビーにあり、部屋は離れの特別室を用意してくれていた。
夕食は彼の経営している割烹ですることになって迎えに来て貰ったが、駐車場もかなり広いし10畳の個室が用意されていた。
料理人である夫だが病的な偏食があるので大変と思っていたら、そんな事実をすでに知っておられたようで、夫の好みのものばかりがコースになっていて感謝した。
全てのコースが進んで御飯となったが、ここで出されたものにびっくり。握り寿司のネタが全て野菜だったからだ。
「オヤジさんのお身体のことを考えまして」と彼が説明してくれたが、その温かい配慮が彼の人柄を物語っているような気がした。
旅館に戻った時に渡されたものがあった。それは風呂桶まで準備されたお風呂セットで、タオル、バスタオル、シャンプー、トリートメントから夫の方は剃刀からフォームまで入っており、「楼門」の入浴券まで用意してくれていた。
「楼門」は東京駅を設計された人物によるものだそうだが、様々な入浴施設があり、観光客だけではなく地元の人達から愛される特別な存在となっていた。
廊下には古い資料が掲げられている。豊臣秀吉が朝鮮へ派兵した時に負傷した兵士を治癒する浴場としても活用されており、著名な歴史上の人物にも愛されていたことも知った。
次の日は車で「伊万里焼」の窯元やイカで知られる「呼子」まで連れて行って貰ったが、そこで昼食に食べたイカは料理人の夫も絶賛するものだった。
美味しい物を食べると幸せ感に包まれるが、お客様を迎える旅館が夕食や朝食でもっと考えなければというのも思い出となっている。
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