昔、事務所の真向かいに喫茶店があり、そこの常連客にヘラブナの世界で知られる釣り師がおられた。
事務所に来客時の電話での出前だけだったので常連さん達のことも知らなかったが、入会していた「釣好会」のメンバーさんを通じて知るところとなり、その人物が喫茶店に入る姿を目にして飛び込んだ。
そこで知り合ったことが私のヘラブナ道楽のきっかけとなった。その方は車の運転が出来ずに誰かに乗せて行って貰わなければならないが、頑固な性格から周囲の人達から敬遠されていたみたいだが、不思議と私とは意気投合することになり、それから前号で触れた「分川池」行きが始まった。
この方は木工所を経営されるご隠居さんで、まあ信じられない物を創作して次々にプレゼントくださったので驚くばかりで恐縮した。
ヘラブナ釣りには不可欠な竿置きと手玉などを信じられないような作りで、万力タイプの部分を紫檀や黒檀で細工されたり、それらを固定するための大きなネジも紫檀の中に埋め込んでいるような代物だった。
ある日、奥さんが来られた。「有り難うございます。病気を抱えて塞ぎ込んでいたのが嘘みたいに元気になって、『ヘラブナ釣りに行けるぞ』と喜んでいるのです」
ずっと入ることのなかった作業場で制作しているのは私へのプレゼントばかり。晩節の生き甲斐が出来たと輝くような表情を見せられ、早朝に車で迎えに行くと奥さんがにこにこされて送り出されたのが印象に残っている。
釣りとは不思議な思いが生まれるもので、同行者が数多く釣れる方が嬉しく、その喜ばれる姿を目にするのが楽しみの中の大きなポイントで、餌づくりがいつも私の担当で、様々なものを混合して練り上げていたら、そのオリジナルな餌に「アメリカの爆弾」という言葉で例えて笑われていた。
こんな餌が水中に打ち込まれたら雪どころか爆弾みたいになって多くのヘラブナが寄せられるという比喩からだが、意外とそれはうまく言い得ているような気がしたことを憶えている。
まだ携帯電話のない時代である。何度池の管理さんから「電話です」と呼ばれたか分からないほどだったが、やがてポケットベルが登場したので助かることになったことも懐かしいところだ。
少し、カーボンの竿について触れるが、大手メーカーがヘラブナ専用の竿を開発していたことも潮流にあり、何本かを購入して実感してみたが、軽量で和竿に近くなったイメージはあっても、やはり竹竿の本物の味という観点からは程遠く、2人で一緒に竹竿を振っていたものである。
分側池は一部がヘラブナで一部が鯉になっていたが、区分けしていたネットが破れていたこともあり、ヘラブナの方に大きな鯉が混じっており、何度か釣ることになって大変だったこともあった。
60センチ以上の鯉が掛かっても竿の撓りから糸が切れないので付き合うしかなく、20分ぐらい要して大物を手前に引き寄せて玉網で掬った時は疲れがどっと出る状態になり、ヘラ竿が戦いぶりを物語るように大きく曲がったままなのだから余計に疲れた。
そんな竿が持ち持ち帰ったら次の日には真直ぐになっているのだから「名竿」と称される訳だが。同じ頃に知り合った80代の高齢者から18尺以上の竿を振るならなら9尺ぐらいの「掛け竿」を使用するべきというアドバイスがあった。掛け竿は竿の先の部分にヘアピンのような細いピンを仕掛けて起き、18尺の糸の中間部分に引っ掛けるようにすれば鯉が掛かっても竿を痛めることはないというすぐれものだった。
そこで8尺の掛け竿を早速注文。使用してみたらそれは確かに優れものだった。
ヘラブナ釣りの特徴は釣り上げたらすぐに放つのが普通で、そのために釣針も「返し」という部分がなかったが、外れないような役割を果たしていたのが柔らかく曲がる竿とも言えた。
今日の写真は奈良県吉野郡にある津風呂湖。何度か釣行したことがあるが、いつも調子が悪い結果に終わった。
事務所に来客時の電話での出前だけだったので常連さん達のことも知らなかったが、入会していた「釣好会」のメンバーさんを通じて知るところとなり、その人物が喫茶店に入る姿を目にして飛び込んだ。
そこで知り合ったことが私のヘラブナ道楽のきっかけとなった。その方は車の運転が出来ずに誰かに乗せて行って貰わなければならないが、頑固な性格から周囲の人達から敬遠されていたみたいだが、不思議と私とは意気投合することになり、それから前号で触れた「分川池」行きが始まった。
この方は木工所を経営されるご隠居さんで、まあ信じられない物を創作して次々にプレゼントくださったので驚くばかりで恐縮した。
ヘラブナ釣りには不可欠な竿置きと手玉などを信じられないような作りで、万力タイプの部分を紫檀や黒檀で細工されたり、それらを固定するための大きなネジも紫檀の中に埋め込んでいるような代物だった。
ある日、奥さんが来られた。「有り難うございます。病気を抱えて塞ぎ込んでいたのが嘘みたいに元気になって、『ヘラブナ釣りに行けるぞ』と喜んでいるのです」
ずっと入ることのなかった作業場で制作しているのは私へのプレゼントばかり。晩節の生き甲斐が出来たと輝くような表情を見せられ、早朝に車で迎えに行くと奥さんがにこにこされて送り出されたのが印象に残っている。
釣りとは不思議な思いが生まれるもので、同行者が数多く釣れる方が嬉しく、その喜ばれる姿を目にするのが楽しみの中の大きなポイントで、餌づくりがいつも私の担当で、様々なものを混合して練り上げていたら、そのオリジナルな餌に「アメリカの爆弾」という言葉で例えて笑われていた。
こんな餌が水中に打ち込まれたら雪どころか爆弾みたいになって多くのヘラブナが寄せられるという比喩からだが、意外とそれはうまく言い得ているような気がしたことを憶えている。
まだ携帯電話のない時代である。何度池の管理さんから「電話です」と呼ばれたか分からないほどだったが、やがてポケットベルが登場したので助かることになったことも懐かしいところだ。
少し、カーボンの竿について触れるが、大手メーカーがヘラブナ専用の竿を開発していたことも潮流にあり、何本かを購入して実感してみたが、軽量で和竿に近くなったイメージはあっても、やはり竹竿の本物の味という観点からは程遠く、2人で一緒に竹竿を振っていたものである。
分側池は一部がヘラブナで一部が鯉になっていたが、区分けしていたネットが破れていたこともあり、ヘラブナの方に大きな鯉が混じっており、何度か釣ることになって大変だったこともあった。
60センチ以上の鯉が掛かっても竿の撓りから糸が切れないので付き合うしかなく、20分ぐらい要して大物を手前に引き寄せて玉網で掬った時は疲れがどっと出る状態になり、ヘラ竿が戦いぶりを物語るように大きく曲がったままなのだから余計に疲れた。
そんな竿が持ち持ち帰ったら次の日には真直ぐになっているのだから「名竿」と称される訳だが。同じ頃に知り合った80代の高齢者から18尺以上の竿を振るならなら9尺ぐらいの「掛け竿」を使用するべきというアドバイスがあった。掛け竿は竿の先の部分にヘアピンのような細いピンを仕掛けて起き、18尺の糸の中間部分に引っ掛けるようにすれば鯉が掛かっても竿を痛めることはないというすぐれものだった。
そこで8尺の掛け竿を早速注文。使用してみたらそれは確かに優れものだった。
ヘラブナ釣りの特徴は釣り上げたらすぐに放つのが普通で、そのために釣針も「返し」という部分がなかったが、外れないような役割を果たしていたのが柔らかく曲がる竿とも言えた。
今日の写真は奈良県吉野郡にある津風呂湖。何度か釣行したことがあるが、いつも調子が悪い結果に終わった。
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