すっかりと秋の季節になってしまい、玄関を入ったところやロビーの中心に置かれている大きな花瓶の花も秋一色となっている。
ススキを入れると何かもの悲しさを感じるのは私だけだろうかと思っていた女将の初枝だが、弱った様子の物を取り除いて差し換え、イメージチェンジした頃に早目のチェックアウトお客様がフロントにやって来られた。
50代くらいのご夫婦のお客様だが、最寄り駅から三つ目の駅につながるハイキングコースを歩かれるそうで、地元の観光協会が発行している情報マップを差し上げたら喜ばれた。
好天に恵まれているのでハイキングには最高のコンディションだが、山道に入るまでの道路は交通量が多いのでくれぐれもお気を付けてとお見送りした。
この日の最後のチェックアウトのお客さんがフロントに来られたのはそれから1時間後のことだったが、40代と見掛けられるご夫婦はラウンジでコーヒーと紅茶を注文され、30分ほど過ごされてから自家用車でお帰りになった。
ラウンジスタッフの話によると、あちこちにある「道の駅」について質問をされ、地元の産物について話したそうだが、ご近所の方々へのお土産を考えておられたようだ。
全てのお客様をお見送りした頃、ふと姿を見せたのが同じ温泉地の旅館の女将で、互いが後継者に嫁いで若女将から女将になった経緯も同じで、随分前から交友があった。
「初枝さん、実は困った問題が起きていてね。あなたも知っている仲居頭のことだけど、反仲居頭派みたいな対立が起きているので料理長や厨房スタッフだけではなく、フロントや事務所スタッフからも『何とかしてください』と言われて悩んでいるのよ」
その仲居頭は超ベテランということで経験は十分だが、スタッフを育てることについては「盗んで学べ」という姿勢を貫くタイプで、組織の中ではどうしても浮き上がってしまう存在となってしまい、抵抗を抱くグループが結束を固めたということを知った。
こんな状況では旅館という環境が悪くなるのは当然で、お客様の対応に関してもどこかで歪として伝わってしまうもので、すでに何度か嫌味のようなクレームとして女将の耳にも入るようになった深刻な状態で、荒療治しか改善は困難と考えられていたようだった。
「初枝さん、これを機に彼女に退職を勧告しようと思っているの。夫とも相談したのだけど、それ相応の退職金も提示する予定なんだけど、彼女はプライドに傷が付くことに耐えられないタイプで、解雇されるなんて絶対に受け入れないと思うの」
女将の悩みは想像以上に深刻みたいで、1か月前に会った時からすると痩せたみたいに見えるし、神経的に疲れているような感じもした。
「ずっとこのままだったらますます悪くなるわよ。『あなたと心中するか、それとも旅館の経営を皆で続けるかの選択になっているの』と告げて引導を渡すべきでは。あの人もう60歳を過ぎているでしょう。定年という対応も抵抗がないとおもうけど」
その「定年」という言葉を耳にした瞬間、彼女は一気に何かに気付いたみたいで、「有難う。やはり初枝に相談してよかったわ」と言って帰って行った。
それから数日後、彼女がまた来館したが、随分と元気になった様子で「彼女ね、定年ということで退職して貰ったの。その報告をした際に社長が『社内で派閥を作るような行動はご法度で、今後は同じことが起きたら責任者は解雇する』と厳しく言ったら想像もしなかったように環境が改善したの」
どんな世界でもスタッフそれぞれに思うことがあり、耐えていることも少なくないが、そんな人間関係の葛藤や軋轢を経営者が把握することが重要な責務であると思った初枝だった。
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