茂登子は若女将として女将の厳しい教育を受けている。山間部にある温泉地の和風旅館の後継者に嫁いでからまだ3年だが、今春に予想外の出来事が起きて大変だった。
女将の夫で社長としてこの旅館を取り仕切っている義父が突然倒れ、救急車で搬送された病院で判明したのが脳梗塞で、血栓が発生した場所が悪かったことから重度の後遺症に見舞われてしまったからだ。
搬入された病院で1か月間の入院。その後リハビリ専門の病院へ転送されて3か月を過ごしたが、奇跡的に回復することもなく女将がずっと支えなければならない生活を強いられることになってしまった。
若旦那と呼ばれている夫は退院までに友人の建設会社に依頼して女将夫婦が生活をしている住居のバリアフリー工事を進めたが、特別に施工して貰ったのが浴室の改造で、老々介護となる近い将来を考えて浴室用の車椅子を探し、そのまま浴槽へ入ることが出来るという代物で、風呂好きな社長に対する親孝行でもあった。
調べてみると浴室用の車椅子にも多くの種類があった。座ったまま浴槽へ電動式で入浴出来るタイプもあったが、残念ながら物理的な事情でその導入が難しく、最も介添えする側に負担が掛からないタイプを選択した。
あちこちのパンフレットを取り寄せて検討している時、夫は建設会社に別の工事を依頼することになった。それは貸切用の家族風呂のバリアフリー改修工事で、浴室用の車椅子を備え付けてスロープを利用して浴槽へ入ることが出来るものだった。
人に優しいおもてなしこそが旅館サービスで、その一つとして考えたものだが、夏頃からネットに掲載したら家族でご利用されたりご伴侶が大病を患われて後遺症から要介助という方々から歓迎されており、旅行情報誌や週刊誌の「最近の旅館サービス」という特集でも採り上げられたことから全国的に知られることになり、夫は「これこそ怪我の功名みたいだな」と言っている。
この貸切風呂のバリアフリー工事が完成した時、女将をモデルとして茂登子と仲居達が研修体験をしたが、その便利な発想に新たに自慢出来る一つとなり、すぐに写真撮影をして客室に案内資料を設置するように命じられた。
社長が退院して来てから主だったスタッフ達で退院祝いをしたが、その時に社長が次のように言われた言葉が印象に残っている。
「ある瞬間に身体が不自由になる病気の恐ろしさを体験したが、どれは私に謙虚に生きるべきということを教えてくれた。歩けること、味を感じることが出来る、目が見える、耳が聞こえる、タオルが絞れる、自分で着替えが出来る。そんな当たり前のことがどれほど幸せかということで、体の不自由の方々にそんな心情で奉仕して欲しい」
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