初子がこの旅館の後継者に嫁いで来たのは3年前だが、先代社長は7年前に亡くなっており、夫が社長として切り盛りしている。
名湯として知られる温泉地で格式ある和風旅館として存在しているが、中心として頑張っているのは夫の母で、この旅館の女将である。
そんな訳で初子は若女将となっているが、数日前に参拝したいところがあると同行を命じられ、名古屋から近鉄特急で伊勢に向かった。
宇治山田、五十鈴川と過ぎて伊勢神宮ではないことを知る。鳥羽駅を過ぎてから女将が名古屋駅の特急券売り場で購入した目的地を教えてくれたが、初めて女将の青春時代のことを知った。
女将は志摩磯部の出身で、中学生の頃に「早乙女」を務めた体験があった、早乙女とは神社の大祭で田植えの神事を擦る際に独特の衣装を着用して苗を植える役で、参拝目的のお宮さんが「伊雑宮」で、日本三大田植え祭りの一つとなっていることを知った。
特急を降りたのは鳥羽駅の次に停車した志摩磯部駅だが、そこは志摩スペイン村の最寄り駅でもあった。
駅前からタクシーで5分ほどの距離に「伊雑宮」があり、境内にある大木の見事な枝振りに歴史を感じながら、砂利道を進むと本殿があった。
それは如何にも神殿という趣があるもので、ここに隣接する田で田植え祭りが行われているそうで、社務所などあちこちに貼られたポスターにも田植え祭りの写真が掲載されていた。
女将は現在75歳なので、「早乙女」を体験してから60年以上を経過することになるが、その時の写真があるから後で見せて上げると言われてわくわくした初子だった。
神社の参拝の仕方も丁寧に教えて貰った。入り口の所で水で浄める作法の順番を知って初めて知ったこともあり勉強になったが、女将が柄杓を使用する様に自分では不可能な品があり、改めて和風旅館の女将の存在感を学ぶことになった。
「この地はね、昔からうなぎ料理が有名でね。この前にも全国的に知られている『中六』という料理屋さんがあるのだけど、昔は旅館もやっておられたの」
参拝を終えてその「中六」に行った。登録有形文化財になっている建物で風格があったが、玄関に回ったら「本日終了」と看板が掲げられていて残念だった。
「早い時は午前中に終わってしまうこともあると聞いているので、午後1時を過ぎているのだから仕方がないわ」
女将はそう言うと近鉄線に沿った道路を10分程歩き、「川うめ」という料理店へ連れて行ってくれた。
ここも「うなぎ料理」で知られているそうで、他に牡蛎料理もあったが、2人で「うな丼」と「うまき」を食べた。面白いのは丼には3種類あって、切り身が3枚、4枚、5枚という枚数で価格が異なっており、2人は4枚入りの物を注文したが、御飯がびっくりするほど多かったので半分近く残すことになってしまった。
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