女将の美佳子が喪服姿で裏から入り事務所に戻って来たが、よほど疲れたみたいで憔悴仕切った姿でソファーにぐったりしながら座ってしまった。
昨夜のお通夜と今日のお昼の葬儀と参列したのは、女将夫婦がいつもお世話になっていた医院の先生のご逝去。まだ60歳になったばかりだったので急逝されるとは信じられなかった。
葬儀が行われたのは温泉地を町の方へ下った外れにあるお寺で、先生が檀家総代をされているところから式場に決められたそうだ。
お通夜の法話でお寺さんが訃報の電話があった時は信じられなかったと言われ、先生との昔からのご仏縁について説明されながら「残念でならない」と愕然とされていた。
「私は一回り下ですが、ずっと先生のお世話になっていました。あまりにも俄かなご逝去だったので奥様にご最後の様子をお聴きすることになりましたが、一昨日からご体調に異変を感じられていたそうで、土曜日の午前中の診察を終えてから医師仲間のいる病院でMRI検査をされることになっていたそうでしたが、診察室で倒れられてそのままご逝去されたそうで、患者さんを優先される先生らしい行動が、こんな残念な結果を迎えてしまったのです」
先生の仕事場で倒れられた事実を知って診察室で数日前に血圧を測っていただいた時のことを思い出したが、優しいお人柄が素晴らしく、先生のご逝去を惜しむ人達がいっぱい参列され、今日の葬儀は弔辞もあったことから1時間半の式次第で700人以上の会葬者の姿があった。
町の重職を歴任されていたこともあり、町長の弔辞や医師会関係のものもあったが、先生の経歴ばかりを話され、お人柄を物語るようなエピソードがなかったので寂しかった。
そんな中、地元の小学校の生徒代表の「お別れの言葉」が涙を誘った。校医をされていた関係から校長やPTA関係者も参列していたが、大人の義理的な内容ではなく、素朴な思いが伝わる内容の言葉がきっと先生に届いたような気がした。
「僕は幼稚園の時から先生の所へ何度も行ったことがあります。僕は注射をされるのが大嫌いでした。学校で予防注射をされることになった時、先生が講堂で僕達に説明されたことから注射を我慢して受けるようになりました。『予防注射をしておかないとバイキンマンに負けて病気になり、病院で痛い注射を何本もされることになるし、それがチクッとするだけで助かるのだからね』と言われました。僕より注射が嫌いな友達もいましたが、それを聞いてみんなが受けてもよいような気持ちになりました」
そんなエピソードは如何にも先生のお人柄を物語るものだが、昨日のお通夜からの帰路、近くの人達が「これからどこの病院にするかという現実的な問題も大変」という言葉は皆に共通する難題だった。
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