これまでの人生で4冊の愚書を発刊した歴史がある。1冊目はハウツーとエッセイ物の「春夏秋冬」で「四季」「式」「死期」を被らせたもの。2冊目は小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」。3冊目は小説「お葬式はハプニングにのって」。4冊目はエッセイで「悦生」というタイトルだった。
振り返ってみると「書く」ことは間違いなく「恥」を「掻く」ことで、その全てが若気の至りという思いに駆られ回収したいところだが、ネット社会のように削除ボタンがないのだからどうしようもない。
「あの世の旅」の小説に触発されたという人物が行動され、話題を呼ぶ著書を発刊された出来事があり、その人物のお母様がその本を恵贈くださったことがあるので忘れられないが、その本に書かれた内容通りにその後が展開されたので印象に残っている。
その当時の著者は、誰もが知られる人物の側近として活動されており、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していた企業を引っ張る経営者に対し、危機感を覚えて箴言的なアドバイスを続けていた中、全く聞く耳を持たない独善的な行動で突っ走られ、遂には周囲にイエスマンを並べる姿勢に限界を感じられ、退職されてその企業の将来について予想されたのである。
一時は「帝国」「帝王」という冠で称賛された企業だが、その著書が発刊された頃から凋落の兆しが見られ、今年になって完全に歴史物語となってしまった残念な企業であった。
企業の大小を問わず、周囲にイエスマンを並べるのは崩壊の始まりであることは日本史や世界史の中でも常識だが、当事者が客観的に判断出来なくなっていることが悲劇につながると指摘したい。
今考えてみると見事な予見であったことになるので、お元気だったら当時のことについて拝聴したい思いがしているが、私より高齢だったのでどうされているのだろうかと懐かしく感じている。
「予言」や「予見」などという言葉が存在するが、これが自然災害に願望される「予知」になれば大歓迎だが、地震や火山の噴火は兆候を伝えることしか不可能なようで、この分野にあっては「狼少年」の揶揄が秘められているので難しい問題である。
大きな台風が接近中だが、我が大阪に影響の出る日のお通夜と葬儀が心配だ。小学生時代の伊勢湾台風と中学生時代に体験した第二室戸台風は強烈だった。今でも当日の大変だった記憶が蘇える。どうか勢力が弱まりますようにと願って手を合わせる。
今日の写真は昨日の号で触れたボーイング737型機を。
振り返ってみると「書く」ことは間違いなく「恥」を「掻く」ことで、その全てが若気の至りという思いに駆られ回収したいところだが、ネット社会のように削除ボタンがないのだからどうしようもない。
「あの世の旅」の小説に触発されたという人物が行動され、話題を呼ぶ著書を発刊された出来事があり、その人物のお母様がその本を恵贈くださったことがあるので忘れられないが、その本に書かれた内容通りにその後が展開されたので印象に残っている。
その当時の著者は、誰もが知られる人物の側近として活動されており、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していた企業を引っ張る経営者に対し、危機感を覚えて箴言的なアドバイスを続けていた中、全く聞く耳を持たない独善的な行動で突っ走られ、遂には周囲にイエスマンを並べる姿勢に限界を感じられ、退職されてその企業の将来について予想されたのである。
一時は「帝国」「帝王」という冠で称賛された企業だが、その著書が発刊された頃から凋落の兆しが見られ、今年になって完全に歴史物語となってしまった残念な企業であった。
企業の大小を問わず、周囲にイエスマンを並べるのは崩壊の始まりであることは日本史や世界史の中でも常識だが、当事者が客観的に判断出来なくなっていることが悲劇につながると指摘したい。
今考えてみると見事な予見であったことになるので、お元気だったら当時のことについて拝聴したい思いがしているが、私より高齢だったのでどうされているのだろうかと懐かしく感じている。
「予言」や「予見」などという言葉が存在するが、これが自然災害に願望される「予知」になれば大歓迎だが、地震や火山の噴火は兆候を伝えることしか不可能なようで、この分野にあっては「狼少年」の揶揄が秘められているので難しい問題である。
大きな台風が接近中だが、我が大阪に影響の出る日のお通夜と葬儀が心配だ。小学生時代の伊勢湾台風と中学生時代に体験した第二室戸台風は強烈だった。今でも当日の大変だった記憶が蘇える。どうか勢力が弱まりますようにと願って手を合わせる。
今日の写真は昨日の号で触れたボーイング737型機を。
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