外が暗くなって来た時間のこと、スタッフ達がその日に行われるそれぞれのお通夜の現場へ向かい、事務所内は専務と3人の女性社員だけだった。
中国の故事に「傾国」という言葉があるが、そんな絶世の美人が来社されたのはそんな時だった。
「お願いするべきか随分と迷ったのですが、どうしてもという思いでこちらに参りした」
2人のスタッフがお茶の準備に奥へ入ったが、2人の興味はその人物の来社目的。普通でない雰囲気があり若い2人には興味津々というところだった。
それは対応する専務も同じで、それこそ誰が見ても超美人という人物に体験したことのない緊張を感じていた。
机を挟んで向かい合って座っている女性と専務。これから何が話されるのだろうかと事務机に座っている女性スタッフが横目で注目しているのも当然だ。
「こちらでお願いしたいのですが」と言って机の上に置かれたのは上品な花柄入りの封筒で、専務はその封筒と女性の顔の両方を見つめ直している。
「これは?」
「現金で10万円入っております。これで何かお供え物が出来ないかと考えまして」
複雑な事情があるようだと察した専務が結論を求めて急ぐ。
「このお金で何時、何方様にお供えを?」
「今晩、お通夜が行われているB様のお葬式に何とかお供えをしていただきたいのです」
それから数分のやり取りが続いた。判明したのはこの美人がBさんの愛人であるということ。闘病生活を過ごされた病院に見舞いに行くことも出来ず、訃報を知られてただ悲しまれていた中で、何とかお供えだけでもと発想されたそうだが、心残りにならないことだけを考えられた行動みたいで、担当する葬儀社がここだということを確認して来社されたこが分かった。
こんな出来事は初めてという3人の女性スタッフ達だが、専務がどのように対応するかが興味深く、愛人という同性の立場になってテレビドラマを観ているみたいな状況で成り行きに耳を傾けていた。
「はっきり申し上げてお供えをすることは出来ません。ご遺族のことや参列される方々のこともありますし」
それは常識的に当然の返答である。お供えする場合に仮に別名にするとしてもご遺族の了承を得る手順を飛ばすことは出来ないことである。しかし。故人のことを慮ると何か方法はと考える心情も生まれる。
腕を組んで天井を見つめていた専務が突然スタッフの一人を呼び、事務所の奥のロッカーからある物を持って来るように命じた。
やがてそれが机の上に運ばれて来ると、専務は優しそうな表情に一変し、これぞ名案というようなシナリオを提案した。
「これは、写経セットになっています。ご当家の宗派からすると般若心経なら問題ありません。お供えすることは叶いませんが、大きな声で言えませんがそっとお柩のお足元に内緒で納めることは許されることでしょう。故人とあなたの縁を考慮するとそれが最善の選択かもしれません」
その提案を聞いた女性の表情が輝きを見せた。女性が故人のために直接出来ることになるからで、それは3人のスタッフ達も「専務、凄いアイデアを」と互いがそんな表情で見つめ合っていた。
やがてその写経セットは原価だけを支払いいただいて女性が持ち帰られることになり、明日の朝に完成した物を会社に持参される約束でお帰りになった。
「私は、フェミニストかな?」
そんな問い掛けをスタッフ達に呼び掛けた専務の言葉だが、社内には不幸でないひとときが流れていた。
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