3ヵ月ほど前、かなり著名な中年俳優の方がご利用くださったが、それはご伴侶ではない方を同伴されていたもので所謂「お忍び」というものだった。
ホテルや旅館の仕事ではスタッフがお客様のプライベートなことに触れることは厳禁なのは常識だが、最近はホテルやレストランの従業員が「**さんが彼女と食事に来ている」とリアルタイムの写真付きで投稿する事件も起きており、スタッフに対する「個人情報」など基本的な常識を指導しておかなければならず、こんなことを教育しなければならない時代に腹立たしい思いを抱く女将の妃都美だった。
ある日、チェックアウトのお客様をお見送りして日課となっているティータイムを過ごそうとラウンジへ座ったところへ、「女将さん、大変です!」と事務所スタッフの石川が血相を変えてやって来た。
その様子がただ事ではないことは理解出来たが、スタッフのミスによるお客様からのクレームでないことを祈りながら石川の言葉を待った。
「これを見てください」と言われてテーブルの上に置かれたのは1枚のプリントだが、そこに見たことのある人物が映っている。
「これって、あの人じゃないの!」
「そうです。そうなのですよ。その背景を見てください。びっくりでしょう」
妃都美はそれで何が起きているかを理解することになり、ただ「どうして!?」と石川に説明の言葉を迫った。
「女将さん。これは大変なことですよ。3ヵ月前に当館をご利用くださった俳優さんのお忍び行動を誰かが内緒で撮影し、ネットに投稿したことから拡散することになって大変な騒ぎとなっているのです」
そう言って石川が指差した写真の部分は背景に写る円形の壁時計で、それはこの旅館の売店でお買い物をされているお2人を撮影したものだった。
間違いなく妃都美の旅館内で撮影されたものである。まさかスタッフの誰かが撮影したものではないと思ってはみたが、これまでに体験したことのないような怒りと震えを感じながら、この写真の投稿者について石川に質問することに進んだ。
「幸い、これは当館のスタッフなどの関係者の行動ではないことが判明しております。投稿されたのは同じ日に宿泊されていたお客様で、一般のお客様が偶然に目撃されて撮影されたものか、芸能関係の記者がスクープを狙って追い掛けて来ての行動かと二つ考えられますが、当日の予約状況を確認しましたら後者のケースは考えられず、間違いなく偶然出会って撮影されたというお客様の行動からでしょう」
これはある意味「不倫の発覚」であり、芸能関係記者の恰好のネタにもなり、スポーツ新聞から週刊誌、またネット内でもかなりの拡がりを見せることになり、その舞台となってしまった旅館の女将の立場として頭を悩ませる最悪の事態を迎えていた。
ご本人や所属されるプロダクションにも謝罪する必要があるかもしれないが、取り急ぎ対応しておかなければならないことは記者達が事実確認の取材にやって来ることで、「一切存じません」で通すように全スタッフに伝えさせると共に、石川に命じて壁時計を撤去させていたが、果たしてその結末はどうなるのだろう。
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