早苗が女将を務めている旅館は在来線の特急停車駅からタクシーで2500円程度の距離にあるが、1時間に1本の特急列車の到着に合わせて路線バスも運転されており、旅館のすぐ側にバス停があるのでバスを利用されるお客様も多かった。
早苗は数日前に東京へ出掛けて学生時代から続いている友人達とのティータイムに出席して来た。キャリアウーマン、専業主婦、飲食店経営など様々で、半年に1回程度誰かが言い出して連絡を取り合ってスケジュールを調整して集まる会合だが、そこは青春時代に戻ったような郷愁感に包まれるので日頃のストレス解消には何よりのひとときでもあった。
会場となったのは日本を代表するホテルのティーラウンジだが、ここには歴史の中で様々な逸話があることも知られていた。
早苗がそんなビジネス書を呼んだのは女将の仕事について間もなくのことだったが、どんな世界にも自分の与えられた仕事に誇りを持った素晴らしいプロの存在を知り、その後の早苗の仕事に大きな影響を与えてくれることになったのも事実で、このホテルを利用する度に昔のことを思い出しながら、現在の反省点を考える帰路となっていたが、それは彼女の人生に於ける大切なことを学ぶきっかけとなった岐路とも言えるだろう。
ホテルの玄関にはボーイさんがいる。到着するお客様の顔を確認して過去に来られた方だったら瞬時に思い出す能力を磨いているし、運転手付きの車で来られる場合にはナンバープレートだけで判断が出来るという信じられない記憶力を発揮、頭の中にコンピューターが入っているのだろうかとそのメカニズムに大きな興味を覚えていた早苗だった。
玄関のスタッフがインカムを身に付けており、「**様ご到着」とフロントに連絡すれば、フロントは伝えられたイメージからその人物が来られたら「**様、お待ち申し上げておりました」と迎えたら気分がよいだろうし、あるホテルではリピーターのお客様に「いらっしゃいませ」ではなく「お帰りなさいませ」で対応しているところもある。
早苗がこのホテルを利用した時に学んで自分の旅館で採り入れていることがある。それは、お客様がタクシーで玄関に到着された時、支払いに1万円札を出されたら、瞬時に1万円札を両替する対応で、お客様はびっくりされるし運転手さんの間では歓迎されて地元の語り草の一つとなっている。
そのホテルの玄関でタクシーを待っている時だった。幼い女の子を伴った女性がタクシーで到着されたら、先に降りた女の子に「ちーちゃん、先に行ったら駄目よ」と声を掛けられたのだが、玄関スタッフはインカムを通じてフロントへ「ブルーのスカートの女の子供さんは『ちいちゃん』と言います」と伝えていたが、チェックインをされる時に「ちいちゃん、いらっしゃいませ」と声を掛けられたらお母さんはきっと驚嘆されるだろうが、この情報は全館のスタッフにも伝わっており、仮にフロアの廊下で清掃担当のスタッフと会っても「ちいちゃん、いらっしゃい」と言われる筈で、お母さんはまた驚きを新たにされることだろう。
このホテルの支配人さんとティーラウンジで話しをしたことがあった。その時に全てのスタッフにミスに対する本人責務を負わすことと権利を与えており、対応時間と解決金の制限が定められており、その範囲が超えると判断された時に上司に報告して対応して貰うことになっていた。
ミスをしてお客様がお怒りになり「上司を呼べ」や「責任者を呼べ」が多いが、自分で対応しなければならないと考えるとミスも少なくなると言われていたことが印象に残った早苗だった。
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