北海道で家族4人が亡くなった交通事故は衝撃だった。飲酒していたグループが2台の車に乗って暴走スピードで信号無視、交差点に突入して巻き込まれた悲惨な出来事だった。
報道によると130キロ程度の速度という指摘もあったが、こんな連中が街の中を走っているとは恐ろしい現実。それこそ過去に書いたことのある走る「狂気」の「凶器」である。
人生にあって素晴らしい人との出会いは何よりの宝物だが、会わなかったらよかったというケースもいっぱいあるのも事実。「類友」という言葉もあるように、おかしな人がおかしな交流からとんでもないことを引き起こすこともある。
車に乗るなら一滴も酒は飲むな。乾杯も駄目というのが私のこれまでの人生だが、「加害者になるな」「被害者になるな」の持論は若い時代から言い続けて来たことで、事故や事件の悲しいお通夜や葬儀の光景を何度も目にして来たからである。
冒頭の連中のフェースブックの写真が紹介されていた。愚かな行動で事故の加害者になってしまったからかもしれないが、そのショットを見てやはり「おかしな連中」と思ってしまうのは私だけだろうか。
フェースブックで忘れられないことがある。愚かな写真を掲載しているので「止めるべき」と指摘したら、「アホに見せている」と反論していたが、救いようのない愚かな性格を知るところとなった。
見せなくても写真を見ればどれだけ愚かな人物かを物語っている。それを知っている人達が見ればただ軽蔑の度合いが増しただけだろう。
飲酒してハンドルを手にするなんてそれこそ「人でなし」ということになる。交流する周囲の人達にそんな当たり前のことを教えてくれる人がいないのだろうかと哀れになる。
加害者となって法の裁きを受けることになっても、被害者や周囲の人達の悲嘆の解決は不可能である。だからこそ事故を起こしてはならないので、今月から厳しくなった自転車の走行も当たり前である。
自転車で走行中にイヤホンを耳にして衝突し、死亡事故に至って1億円の賠償というニュースがあったが、起こしてから後悔しても始まらない。
ある著名な芸能人が「人生は何度でも反省も後悔もしてもよい」なんて発言して賛辞されていたが、私はそんな意見を完全否定する。「人生は反省の範囲内で」「後悔はするな」という哲学でずっと過ごしているからで、自分だけで済むなら後悔も度合いが低いが、誰かを被害者にしたら絶対にいけないことである。
仏教には「方便」という言葉がある。自身の行動でもとやかく指摘されないようにする知恵もそうだろう。比喩として紹介したいのが「靖国神社参拝問題」で、中曽根氏が総理の時代に参拝し、インタビューに「公的な立場で」と発言してしまって思わぬ波紋が生じた。
中曽根氏と深い交友関係があった中国の要人が糾弾されることに至ったからで、それから参拝をされなくなったエピソードが伝えられている。
時の総理が参拝し、「国家のために犠牲となった方々に」と発言するから近隣諸国から追及される訳で、堂々と参拝し、「絶対に戦争はしませんと誓って来ました」と言えばよいのにと思う昨今である。
今日の写真は鹿児島県知覧にある特攻平和会館を。
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