ご到着されたお客様を玄関でお迎えし、フロントへ案内すると部屋担当の仲居が紹介され、チェックアウトされるまでお世話をするのがこの旅館のシステムで、それは女将の千晶が4年前に行った旅行で利用した旅館が行っていた流れで、すぐに採り入れるようにしていた。
今日の午前10時頃に予約電話があったお客様が来られている。ご夫婦だそうだが、部屋担当の仲居がお茶を出してからフロントに戻り、ご夫婦との会話から知ったことを千晶に報告した。
ご夫婦は昨日は岐阜県の下呂温泉にご家族で行かれていたそうで、ご主人の還暦を祝う1泊旅行だったが、朝食を済ませた頃に「もう一泊何処かへ行くか?」とご主人が提案され、ご家族の皆さんと別れてご夫婦だけでこの温泉地へ来られたということだった。
千晶の旅館の支配人は毛筆の達筆な文字は誰もが知るレベルだが、千晶は支配人に頼んで和紙に次のメッセージを書いて貰った。
「下呂温泉で還暦のお祝いでご家族旅行をされたそうですが、ご夫婦で当館をご利用くださいまして真に有難うございます。華甲の思い出を当館でお過ごしいただけるよう、スタッフ一同衷心よりお祝いと歓迎を申し上げます」
貰い物だったが、上品な京都の和菓子があったのでそのメッセージを添えて仲居に持参させたら大層お喜びくださり、「是非、女将さんにお礼を伝えたい」と仰ったのでご夕食の時にご挨拶に参上しますとお伝えしましたと報告があった。
やがて夕食の時間を迎えた。千晶が「失礼いたします」と襖を開けて参上したら、まず始めに質問されたのがメッセージにかいた「華甲」の意味。それが「十」が6つと「一」があるので「61」であり、数えの還暦を表すと説明すると驚かれ、「よい土産話になります」と感謝された。
千晶がこの言葉を知ったのは先代社長が還暦を迎えらえた時に届いたお祝いの品の中にその文字が添えられたものがあり、すぐに辞書を繙いてそれから頭の中の引き出しに入れていたのだが、こんなにお喜びくださることにびっくりし、改めて日本の文字文化のグローバルなことを再認識した。
前日の下呂温泉で宿泊された旅館でもサプライズ的な歓迎をされたそうだが、そこでは「還暦」の文字があったが「華甲」の文字はなかったと言われ、こんな言葉一つで旅の思い出が増える事実を改めて知った千晶だった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将、文字の文化で喜ばれる」へのコメントを投稿してください。