美知恵が女将を務めている和風旅館は14室というこじんまりとした規模だが、宿泊料金も高額な設定となっており、かなり旅慣れたお客様が利用していた。
部屋食での夕食が始まる頃に各部屋に訪問して挨拶をするのが日課だが。この時に交わす会話の中に貴重な学びのヒントがあることも多く、それは美知恵の貴重な情報入手という実益を兼ねた楽しみとなっていた。
ある高齢の夫婦の部屋を訪問した時のことだった。初老の男性客が興味深いことを教えてくれた。
夫婦は月に3回は温泉に出掛けているそうで、それを知った美知恵が「ご体感されたサービスで印象に残られたのは?」と質問したことから飛び出した予想もしなかったことだが。その提案されたサービス発想に心から触発されて明日から早速やってみたくなった。
それは最寄り駅から旅館を結ぶタクシーの車内会話の重要性で、「タクシーの運転手さんを大切にしなさい」というものだった。
「最寄り駅から**旅館に行先を伝えると、『素晴らしい旅館ですよ』と言われたり、『あそこの女将さんは素晴らしい人柄です』と言われたら嬉しいでしょう。それがたった100円で可能となればどうしますか?」
それは旅館に到着した際に「運転手さん、有り難うございました。またよろしくお願いします。安全運転で」と書かれたカードと共にかわいいポチ袋に100円硬貨を入れて渡せば想像以上の効果が生まれる可能性があるし、旅館から最寄り駅へ向かうタクシーには「安全運転で大切なお客様をよろしくお願いします」というカードに添えて100円硬貨を渡せば思わぬ効果もなんてダジャレで結ばれたが、それこそ費用対効果が期待出来る発想である。
美知恵はすぐに事務所のスタッフに命じてカードを創作させ、かわいいポチ袋と100円硬貨をいっぱい用意。次の日から早速実践し、提案してくれたお客様が駅に向かわれるタクシーにも手渡し、奥様の方に「荷物になりますが」と青竹の中に新米を入れてお礼のお土産として、にこっとした表情で「今日から始めました」と報告をした。
その効果は覿面で、運転手仲間で話題になり、車内で運転手が耳にする自分の旅館の話題の良いこと悪いことの情報把握はその後のサービス向上につながり、様々な方面でその名を知られる名旅館として成長することになった。
それから1ヵ月後、それを教えてくれたお客様に現況報告を兼ねた礼状を送り、お陰様でと招待宿泊券を同封しておいたが、その数日後に葉書が届き、「よかったですね。お気持だけいただいておきます。次回に宿泊の際は正規料金を支払います。デザートだけ一品増やしていただければ妻が喜びます」と書かれてあった。
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