あるテレビ番組を観ていた「おかしい!?」と思うことがあった。それは大手旅行会社の新人スタッフが上司の命からツアーを企画する内容だったが、利用するバス会社、昼食に立ち寄るレストランなど、それぞれに無理難題を押し付け、赤字でも協力して欲しいと訴えるものだった。
対応しなければ今後の送客に影響がある恐れもあり、嫌でも協力させられる経営者達だったが、どんな世界でも弱い立場である下請け先を泣かせるのは最悪で低次元な発想で、最近に流行している「パワハラ」と判断されるレベルで、旅行会社とテレビ局の大きな勘違いを指摘したい。
様々な旅行会社からパンフレットが送られて来るし、過去に利用した温泉旅館から定期的に発行されている情報誌が届くこともあるが、ネットの中の旅行会社に対する苦情で多いのが約款設定されている「最低参加者数」に達しない場合のキャンセルで、「残念ですが今回お申し込みのツアー企画は実行出来なくなりました」という電話連絡。予定を組んでいた人達に大きな驚きを与えているようだ。
女子大生達の4人組が卒業旅行でそんな企画で外国旅行を申し込んでいたら、出発の10日ほど前になってキャンセルの電話があり、それから飛行機を探したら早割期間ではないので高額となっており、国内旅行に変更を余儀なくされたという出来事も紹介されていた。
世界中のクルーズを行っている豪華客船を有する会社があるが、現在建造中のクルーズ船のツアー企画募集を調べてびっくりすることになった。申し込んでからのキャンセル費用で、最上ルームの場合は150日前になったら「100%」となっており、入院でもするようなことがあったら最悪、大変なことになってしまう。
世界は広いもので、亡くなったご主人から多額の遺産相続をされ、遺言にあった「クルーズ船で生活を」ということを実践し、もう数年乗船したままという高齢女性もおられた。
横浜港に展示されている「氷川丸」の船内を見学したことがあるが、それから比べたら今のクルーズ船はまさに海の上を走るホテルで、レストランだけでも10カ所もある船もあり、我々庶民はネットパンフレットを見ながら想像するしかないのが現実である。
「氷川丸」は1930年に完成した12000トンの貨客船だったが、シアトル航路に就航し、接客や料理が評判となってチャップリンが利用した歴史もあり、現在は横浜市の文化財と認定されてそのまま博物館みたいになっている。
38年前に南米へ行ったことがあるが、その時にブラジルでお会いした日系の人物は、ご両親が1908年の移民で「笠戸丸」に乗船されていたそうで、サントスに上陸されてからの大変な体験談を教えてくださったことを憶えている。
「笠戸丸」は6000トンの船で10ノット(時速約18キロ)という遅い船だったが、長距離には定評があり、ブラジルの他にハワイへの移民にも利用されていた歴史がある。
今日の写真は「氷川丸」だが、戦時中は改造されてこのように「病院船」となっていた歴史もある。
世界の救急車的な外交を提唱したことから現在の町村衆議院議長ご本人から電話があって驚いたのは一昨年のことだったが、病院船に火葬船は大災害があれば何処でも行けるので国防費を削減しても実現するべきと思っている。
対応しなければ今後の送客に影響がある恐れもあり、嫌でも協力させられる経営者達だったが、どんな世界でも弱い立場である下請け先を泣かせるのは最悪で低次元な発想で、最近に流行している「パワハラ」と判断されるレベルで、旅行会社とテレビ局の大きな勘違いを指摘したい。
様々な旅行会社からパンフレットが送られて来るし、過去に利用した温泉旅館から定期的に発行されている情報誌が届くこともあるが、ネットの中の旅行会社に対する苦情で多いのが約款設定されている「最低参加者数」に達しない場合のキャンセルで、「残念ですが今回お申し込みのツアー企画は実行出来なくなりました」という電話連絡。予定を組んでいた人達に大きな驚きを与えているようだ。
女子大生達の4人組が卒業旅行でそんな企画で外国旅行を申し込んでいたら、出発の10日ほど前になってキャンセルの電話があり、それから飛行機を探したら早割期間ではないので高額となっており、国内旅行に変更を余儀なくされたという出来事も紹介されていた。
世界中のクルーズを行っている豪華客船を有する会社があるが、現在建造中のクルーズ船のツアー企画募集を調べてびっくりすることになった。申し込んでからのキャンセル費用で、最上ルームの場合は150日前になったら「100%」となっており、入院でもするようなことがあったら最悪、大変なことになってしまう。
世界は広いもので、亡くなったご主人から多額の遺産相続をされ、遺言にあった「クルーズ船で生活を」ということを実践し、もう数年乗船したままという高齢女性もおられた。
横浜港に展示されている「氷川丸」の船内を見学したことがあるが、それから比べたら今のクルーズ船はまさに海の上を走るホテルで、レストランだけでも10カ所もある船もあり、我々庶民はネットパンフレットを見ながら想像するしかないのが現実である。
「氷川丸」は1930年に完成した12000トンの貨客船だったが、シアトル航路に就航し、接客や料理が評判となってチャップリンが利用した歴史もあり、現在は横浜市の文化財と認定されてそのまま博物館みたいになっている。
38年前に南米へ行ったことがあるが、その時にブラジルでお会いした日系の人物は、ご両親が1908年の移民で「笠戸丸」に乗船されていたそうで、サントスに上陸されてからの大変な体験談を教えてくださったことを憶えている。
「笠戸丸」は6000トンの船で10ノット(時速約18キロ)という遅い船だったが、長距離には定評があり、ブラジルの他にハワイへの移民にも利用されていた歴史がある。
今日の写真は「氷川丸」だが、戦時中は改造されてこのように「病院船」となっていた歴史もある。
世界の救急車的な外交を提唱したことから現在の町村衆議院議長ご本人から電話があって驚いたのは一昨年のことだったが、病院船に火葬船は大災害があれば何処でも行けるので国防費を削減しても実現するべきと思っている。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「考えたいこと」へのコメントを投稿してください。